ギニアビサウの首都ビサウを散策します。歩いて見て回れる大きさで、ざっと見るだけなら半日ほどで終わります。
旅行日:2024/11/17(日)-11/19(火) ※本文中の値段は訪問当時のものです。
【ギニアビサウ】
ギニアビサウは、西アフリカの大西洋沿いにある小さな国。
かつてはポルトガルの植民地で、1974年に独立しました。
公用語はポルトガル語ですが、クレオール語や多くの民族言語も使われています。
通貨はCFAフラン(西アフリカCFAフラン、XOF)。CFAはセーファーと読みます。
セネガル、コートジボワール、トーゴなどでも使われています。
中央アフリカCFAフラン(XAF)というのもあり、どちらもユーロペッグですが、混同して使うことはできません。
Ecoという新通貨への移行も検討されています。
経済はカシューナッツの輸出や農業に大きく依存しています。
自給農業が中心にもかかわらず国内需要すら満たせないほど生産性が低く、企業家層もいないため、経済発展できず世界最貧国の一つと言われています。
政治的にはクーデターなどが多く、長年にわたり政治の不安定さが課題となっていますが、近年(2024年現在)は安定してきています。
観光としては、ビジャゴ諸島はアフリカ大西洋岸唯一の活動中のデルタ型群島(現在進行形で地形が変化している群島)であり、西アフリカマナティーなど生態系を持つとして、世界遺産に登録されました(ビジャゴ諸島とオマティ・ミニョの沿岸・海洋生態系)。この地域は女性中心の独特の文化があるのも特徴的です。
Day1
ビサウ空港到着
17:00 DSS→18:00 OXB KP52
18:02、ほぼ定刻にビサウ空港に到着しました。ところが飛行機は着いたのに、なかなか降ろしてもらえません。どうやら同じ便に要人が乗っているらしく、一般乗客は機内で待機とのことです。結局12分ほどしてからようやく降機となりました。西アフリカの旅は、こういうところから始まります。
空港の建物は小さく、どこかのどかな雰囲気です。私はギニアビサウのビザを事前に取っていなかったのですが、まずは入国審査の列に並ぶことになり、普通に入国スタンプを押されます。パスポートは返却されず別の係員に渡され、別室へ。
ここでアライバルビザを入手します。55,000CFAフラン、または85ユーロとのこと(現金のみ)。85ユーロを支払い、ビザをゲット。レシートもきちんと渡されました。

この別室で、日本人ツアー客三人娘と鉢合わせしました。結構なお年に見えますが、彼女たちは西アフリカ4ヶ国ツアーの途中で、すでにギニアのコナクリを訪れており、これからギニアビサウ、リベリア、シエラレオネへ行く予定だそうです。この後行くコナクリ空港は有名な賄賂街道があると聞いており心配だったので聞くと「コロナ前はあったらしいけれど私たちは特に何もなかった」とのことで一安心。ただし町中は軍人が多く、写真を撮るのはなかなか難しいとのお話でした。
空港タクシー
空港からホテルへはタクシーで移動しました。事前調査では2017年のガイドブックでは3,000フラン(夜は増額)という情報がありました。機内で話したビサウ人によると、ロータリーまで出れば空港よりもう少し安く拾えると思うが外国人には危険だから避け、少し高いかもしれないが空港から一台4,000フランなら悪くないとのこと。そこでその値段で乗ることにしました。


18:39に出発し、18:56にホテル到着です。宿泊先は Ceiba Hotel Bissau でした。到着してすぐホテルの警備員がタクシーを見てドライバーに「このホテルにふさわしい車じゃないから早く出ていけ」などと言ったため、ドライバーは代金を受け取るとすぐに発進しました。結果的に料金でごねられることもなく、むしろ助かりました。
西アフリカタイム

夜は出歩くべきではないということで、夕食はホテルのレストランにしました。
19:33に入店し、19:59に飲み物が出てきて(約30分待ち)、食べ物が出てきたのは20:45でした。
1時間以上の待ち時間です。
きっと心を込めて丁寧に丁寧に作ってくれているのだろうと前向きに解釈することにしました。。
注文したのはBurger à cheval(XOF10,000)、生搾りオレンジジュース(XOF3,000)でした。
ジュースを絞るのは力がいるので30分かかります・・・よね??


さてホテルの部屋ですが、今回宿泊したCeiba HotelはVIPも宿泊するホテル。
部屋は広々としており、クーラーは問題なく作動、ベッドは適度な硬さで快適でした。
シャワーはハンドヘルドとレインフォールがあり、水圧はそこそこで、お湯はぬるめ。
シャンプーとコンディショナーは備え付けですが、ポンプのノズルが硬い仕様。石鹸はよくとけるものでした。
ティッシュ、綿棒、歯ブラシセット、シェービングキット、シューミット、シャワーキャップあり。
冷蔵庫、金庫、備え付けハンガー5本、500mlの水は毎日、エスプレッソマシン(紅茶あり)はありましたが、ドライヤーやスリッパはありませんでした。
空港と市内中心地の間にあり、立地はよいです。空港送迎は無料なので、連絡がつけばお願いできると思います。
入口では警備員が複数いて安心感あり。フロントは英語が通じました。


Day2
朝食はホテルで取りました。西洋スタンダードの内容でとてもおいしく、特にクレープが印象に残りました。




国会議事堂
遅い時間ですが10時に散策を開始。
まずはホテルの目の前にある Palácio Colinas de Boé。
ここはギニアビサウの国民議会(Assembleia Nacional Popular)の建物で、独立闘争の拠点で独立宣言が行われたボエの名前が付けられています。
恐らく正面からの撮影は禁止と思われますので要注意です。


英雄広場と大統領府
歩いて英雄広場(Praça dos Heróis Nacionais)に行ってみます。
途中、素晴らしい壁画を発見。
KFCではなくBFCなる店もありました。Bissau Fried Chickenだそうです。。


15分もかからず英雄広場に到着。
独立戦争の英雄を記念する広場で、周囲には大統領府や行政庁舎(旧国立博物館)、ホテル・インペリオなどが並んでいます。


英雄広場からまっすぐ伸びるアミルカル・カブラル通りを海の方へ歩いていきます。


通り沿いには5つ星とされるホテルBissau Royal Hotelがあります。

カトリック大聖堂

通りの途中にある大聖堂 (Sé Catedral de Bissau) を訪れました。
1940年代に建てられたカトリックの大聖堂で、ポルトガル植民地時代の雰囲気を残す建物です。
ギニアビサウではイスラム教徒も多いのですが、ポルトガル統治の影響でカトリック文化も根付いています。




ビサウ・ヴェーリョ(旧市街)
さらに歩いて港の方へ向かい、ビサウ・ヴェーリョ(旧市街)という地区へ。
まずはアムラ砦 (Fortaleza d’Amura) へ向かいます。
ポルトガル時代の要塞で、現在は独立運動の指導者であるアミルカル・カブラルの霊廟が置かれています。
ギニアビサウでは非常に重要な人物で、街のあちこちで名前を見かけます。
この砦は、現在は軍が使用しているため内部見学はしませんでした。


砦や港の周辺にはボロボロながらコロニアル風の建物が残り、かつての植民地都市の雰囲気が感じられます。
港には、セネガルのサン=ルイなどでも目にしたものと似た木製ボートがありました。




一角にはタイル絵がありました。美しい絵で一見の価値があります。


アミルカル・カブラル通りの南端に戻ると、アミルカル・カブラル像がありました。


その近くには「ティンバ(不浄)の手」というモニュメントがあります。
1959年に起きた「ピジギティの虐殺」(給料アップを求めてストライキを行っていた労働者に対し、ポルトガル警察が発砲した事件)の犠牲者を追悼するために建てられたものです。
植民地支配下で非人間的な扱いをされた労働者たちの怒りや自由への渇望を象徴するとされます。
この事件が起きた8月3日は植民地の殉教者の日として、現在も祝日になっています。


チェ・ゲバラ広場
チェ・ゲバラ広場 (Praça Che Guevara) という広場も通りました。
名前のとおり革命家のチェ・ゲバラに由来する広場です。
冷戦時代、この国が社会主義圏の支援を受けていた歴史の名残でもあります。
かつてはオノリオ・バレットの像があったらしいのですが(当時はオノリオ・バレット広場と呼ばれていた)、現在は台座しかありません。


台座の後ろをみたらつぶれた人がいたので、目を覚まさないうちに退散します。
広場には文化センターが面していました。


暑すぎて休憩

西アフリカの日差しは想像以上で暑く、2時間歩いただけですが体力が削られていきます。
そこでチェ・ゲバラ広場に面した Restaurant Kalliste に入り、コーラとファンタ(各750CFAフラン)を頼んで休憩しました。
一本じゃ足りない!


休んでいると、昨日空港で会った三人娘御一行様が入ってきました。
彼女たちはランチをしにきたようで、魚料理を食べていました。
80歳のマダムは少し耳が遠そうでしたがとても元気で、見た目は70歳いっていないくらいに見えます。
このあと車で郊外のドイツ人入植者の村などに行く予定で、明日は同じ便でリベリアへ行く、といった話を聞きました。
魚市場
食後、魚を売っている通りへ行ってみました。
しかし近づくと「Fish! Money!」などと言って寄ってくる人が現れ、どう考えても写真を撮ったら面倒なことになりそうな雰囲気だったため、結局カメラは出さずそのまま退散しました。
なので写真はありません。
かわりに周辺にある通り(確かRua Osvaldo Vieira Perto)の壁画を掲載します。。


あのSPAR

チェ・ゲバラ広場からほど近くにあの SPAR がありました。
ヨーロッパではよく見るスーパーですが、こんなところにもあるとは!
店内を少し見て回り、水 XOF400、レモネード XOF450、袋 XOF100で合計 950 CFAフランでした。
袋は有料で意識高い系。ヨーロッパを感じます。
もうすることがない
正直なところ首都ビサウの観光地はそれほど多くありません。
10時に散策を開始したのに休憩含めて14時にはすでにやることがなくなってしまいました。
そこでさっさとホテルに戻ることに。
道中のスポーツ施設の壁には蚊帳を付けましょう的なイラストがあり、西アフリカを歩いている感じがします。


ホテルでは西アフリカタイム甚だしいレストランでカフェ休憩にしました。
今回注文したのはチーズケーキ(8,000CFAフラン)。
ケーキは普通作り置きになると思いますが、注文してから出てくるまで50分!
しかもなぜか生クリームケーキでした。。
カプチーノ(1,500CFAフラン)はさらに遅れてやってきました。
焙煎からやっていたのでしょうか。。


マーケット
もう出かけるつもりはありませんでしたが、スーパーに行ってみることに。
ホテルから西へフランシスコ・メンデス通りを歩くと、最初のラウンドアバウトを超えたところから急にカオスに変わります。道路沿いの建物に商店が並び、露店もあってマーケットのような雰囲気です。


この通りをさらに西へ歩いて Supermercado Darling へ。
店内は撮影していません。

帰りもまたカオスなマーケットを歩いて戻ります。
歩道橋からマーケットを撮影してみましたが、人が多く、立ち止まるとすぐ寄ってきてしまうので、長時間カメラを構えるのは危険そうです。
さっと撮れるだけ撮って、退散です。
まだ18:00ですがホテルに戻り、翌日早いのでさっさと寝ました。


Day3
3:00起床、3:45チェックアウトです。。早すぎ。
事前に手配しておいたホテルの無料空港シャトルは3:58に出発し、4:09に空港に着きました。
入口には荷物チェックがあるはずなのですが、なぜかそのままスルーされました。
次にチェックインですが、どうやらどこぞの国の副大統領が同じ便に乗るらしく、完全にそちら優先。
空港到着後20分くらいで出国スタンプを押してもらっていました。
そのすぐ裏にあるセキュリティは一列しかありませんが、かなり前の方だったので10分もかからず通過できました。
結局、ギニアビサウ滞在中に賄賂を要求されることは一度もありませんでした。


怒涛の4便乗り継ぎ
ここからは怒涛の4便乗り継ぎでリベリアの首都モンロビアへ向かいます。
ただし実際には2区間ずつ同じ機体で運航されるので、体感としては2便のようなものです。

6:30 OXB-7:30 DSS KP53
定刻通りのフライトでした。
ロメまで行く人は乗りっぱなし。頭上収納のかばんが誰のかチェックされます。

8:20 DSS-11:50 LFW KP53
今回も客層はいい、搭乗率40%くらいのようにみえます。
機内食は見た目でわかるかなりひどいレベルのまずさ!
11:16に着陸と、時間的にはかなりいい感じです。

降機後乗り換え組と入国組にわかれてバスに乗ります。
セキュリティチェックを通過し、待合ロビーへ。
ターミナル自体が便数の割に小さく人だらけで、座席がとれない人もいました。
レストランは2階にひとつ、他はスナックや布地の売店のみでした。
トーゴの通貨はギニアビサウと同じCFAフラン(西アフリカ版)なので、手持ち現金がそのまま使えて便利。
トイレの清掃員が「Give me some money!」とかいってきます。
笑ってNoとか言ってやり過ごしますが油断は禁物です。



14:15LFW-15:10ACC KP20
水サービスは出発前で、飛行中はありませんでした。
搭乗率30%くらいでしょうか。
この機体はディスプレイがあったものの画面はつかなくて飾り状態。
仕方ないので機内誌を熟読します。
この便も定刻どおりでした!
着陸後はアクラ(ACC)では降りずモンロビア行きなので席で待機します。
先ほど同様、頭上収納のかばんチェックありでした。



15:50 ACC-17:50 ROB KP20
だいぶ人が乗ってきました。
今度は飛行後にディスプレイが起動したものの、マップやエンタメは起動しないし、時間が違うというお粗末さ。
Airline information しか見られませんでしたが、画面がついただけよしとしましょう。
この便も定刻通り。ありがとう、ASKY航空!

しかしここからが大変でした。
次の国リベリアへ続きます。
