リベリア旅行 首都モンロビア

アフリカ
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リベリアの首都モンロビアを散策します。

旅行日:2024/11/19(火)-11/20(水) ※本文中の値段は訪問当時のものです。

【リベリア】
リベリアは、西アフリカの大西洋沿いにある国。首都はモンロビアです。
19世紀に、アメリカ合衆国の解放奴隷の移住地として建国され、1847年に独立しました。このため、アフリカの中でも植民地支配を受けずに成立した比較的珍しい国の一つです(実質的にはアメリカの強い影響下にありました)。

公用語は英語ですが、多くの民族言語も日常的に使われています。
通貨はリベリア・ドル(LRD)で、アメリカドルも広く流通しています。

経済はゴム(天然ゴム)や鉄鉱石、木材などの資源輸出に依存しています。特にゴムは主要産業で、かつては世界有数の生産国でしたが、長年の内戦の影響でインフラや産業基盤が大きく損なわれ、現在も低所得国の一つとされています。

政治的には、1989年から2003年にかけて続いた内戦によって深刻な混乱を経験しました。その後は民主化が進み、2018年には元サッカー選手のジョージ・ウェアが大統領に就任するなど、徐々に安定化が進んでいますが、依然として課題も残っています。

観光面では、手つかずのビーチや熱帯雨林が広がる自然が魅力です。サポ国立公園は西アフリカでも有数の原生林が残る地域で、チンパンジーなどの野生動物が生息しています。一方で観光インフラはまだ十分とは言えず、本格的な観光地化はこれからの段階です。リベリアには2024年現在、正式な世界遺産はありませんが、マウント・ニンバ厳正自然保護区(拡張)、プロビデンス島、ゴラ熱帯雨林国立公園などが世界遺産の暫定リストに登録されており、今後の発展が期待されています。近年ではロバーツポートを中心に、世界屈指の波を求めて訪れるサーファーたちの間で『アフリカ最後の楽園』として注目され始めています。

ビザ

リベリアは観光ビザが必要なので、日本で取りました。比較的簡単ですが、要領が不明確なためやや面倒です。VOAもありますが大使館のない国向けであり、日本は対象外です。(2026年4月現在)

【必要書類】
大使館公式ウェブサイトに書いてありますが、電話で問い合わせたことと実際の手続きを補足します。書類の要/不要は人により異なると思いますが、一般的な観光ビザの申請では概ね同じと思われます。不安な点は大使館に電話すれば親切に教えていただけるので、問合せした方が無難です。
1 VALIDITY OF PASSPORT (A MINIMUN OF SIX (6)MONTHS )
2 VACINATION AGAINST YELLOW FEVER
3 TWO RECENT PASSPORT-SIZE PHOTOS (WHITE BACK GROUND/RED (LONG SERVICE)
・VISA FORM内にサイズや細かい規程あり
4 COMPLETION OF VISA FORM
・Reference2ヶ所は記入不要
・Signature of Person Filling Formは本人記入なら空欄
・印刷は片面ずつ
5 EVIDENCE OF FINACIAL SUPPORT
・英文銀行証明
6 LETTER OF INVITATION FROM LIBERIA WITH THE NAME OF A CONTACT PERSON AND THE TELEPHONE NUMBER INCLUDING E-MAIL (if any)
・不要
7 1 LETTER FROM YOUR COMPANY REQUESTING FOR VISA
・身元保証書(滞在中の金銭等の保証)
・ビザをリクエストする旨を必ず書く
8 IF SELF EMPLOYED ARTICLES OF INCORPORATION OF YOUR COMPANY
・7があれば不要
9 A FREE OF 8,000JPY FOR THREE MONTHS (SINGLE ENTRY) 16,000JPY FOR THREE MONTHS (MULTIPLE ENTRIES)
10 PAYMENT WILL BE DON’T BY APPLICANT (S) INTO CONSULAR’S ACCOUNT AFTER WHICH THE PROOF OF PAYMENT WILL BE SUBMITTED TO THE EMBASSY
・振込人名義はローマ字
・スリップが必要なのでATMで操作(ネットバンキングの画面でよいかは不明)

このリストには書かれていませんが、航空券eチケット控(リベリア入国と出国部分があればOK。今回は陸路出国の後シエラレオネに入るため、シエラレオネoutの航空券を提出)と、ホテル予約確認書(OTAのもの)を提出する必要がありました。

提出後にもらうOfficial Visa Receiptに書かれた日時にピックアップすることになります。このときは3日後でした。

Day1

モンロビア空港到着

15:50 ACC→17:50 ROB ASKY航空 KP20

17:54、ほぼ定刻通りリベリアに到着しました。飛行機は離陸後にディスプレイが起動しましたが、マップやエンタメは使えず、時間表示もずれていました。見られるのはAirline informationのみでした。

到着後は徒歩で建物へ移動します。イエローカードは存在を確認されるだけでした。入国審査では宿泊先(OTAなどの予約票要提示)、職業、滞在期間を聞かれました。18:20に通過し、かなりスムーズでした。汚職ホットライン「4322」の看板があったからか、賄賂要求はありませんでした。空港出口では荷物のX線検査がありました。

空港から市内への移動です。事前情報では2019年のブログで約35USドル、2017年のガイドブックでは80USドルと幅があります。空港出口で声をかけてきたタクシーは50USドルと言ってきました(おそらく最初の提示額)。

外に出ると、送迎を頼んでいないのに自分の名前を書いた紙を持っている人がいました。料金を聞いてもはっきり答えず、「ホテルが用意したからネームプレートを持っていた」と言うだけです。話が進まないためホテルに電話しました。電波があってよかった!

ホテル側も料金を明確にせず(恐らく言い値75USドルと思うが詳細不明)、さらに訛りが強く聞き取りづらい状況でした。値段を言わないなら利用しないこと、空港タクシーが50USドルと言っているため同額でなければ乗らないと伝えました。50USドルでいいな?じゃあ50USドルと言え!と3回 怒鳴って 言って、ようやくホテル側が50USドルと復唱したため合意し、18:40に出発しました。ちなみにこのときの国際電話は1,000円程度でしたが、電話していなかったらいくら余計に払うことになったことでしょうか。。

モンロビア・ロバーツ国際空港からモンロビアまでは50~60kmほど離れています。途中、工事や渋滞があったため、およそ2時間後の20:30にホテルに到着し、チェックインしました。この空港から到着する時は到着時間に要注意です。

もう外は暗かったので、夕食はホテルでとりました。チキンシャワルマはペッパーが効いていておいしかったです。ジンジャー入りライムジュースは、ジンジャーの量が多くてかなり辛口!合計18USドルでした。

宿泊したホテルはThe Cape Hotelです。一昔前の欧米基準であり、枕銭は必要でした。
部屋は広めで、蚊帳のないベッドは適度な硬さでした。シャワーの水圧は弱いのですが、下の蛇口からは強めで出ました。お湯は出ませんが、多少ぬるくはなりました。アメニティはシャンプー、シャワージェル、石鹸のみ。ドライヤーの風量はまあまあでした。Day2の23時ごろ断水しました。到着日でなくてよかったです。
トイレットペーパーあり、ホース付きでした。スリッパ、バスローブはありません。
タオルはいい匂いがしましたが、クローゼットは臭く、洗面台のシンクは栓が閉まるとシンク台下の金具をいじらないと開けられない状態でした。
Wifiは無料ですが、あまり接続はよくありませんでした。ペットボトルの水は毎日500ml2本あり、買いに行くのも面倒な僻地にあるので大変助かりました。

Day2

朝食はホテルでとりました。種類は多いですが、残念ながらおいしくはありませんでした。

マンバ・ポイント・ビーチ

朝食後、ホテル前のビーチへ向かいました。70km離れたロバーツポートはサーファーの間で有名なようですが、こちらも高い波でした。ホテルを出たところで、怪しそうなタクシードライバーがついてきましたが無視していたらいなくなりました。その後、何をしたいのかよくわからない女が近づいてきたため、距離を取ってその場を離れました。

そのまま坂を上がり、アメリカ大使館やフランス大使館のあるエリアへ行きました。この周辺は治安が比較的良く、変な声かけなどもなく安心して歩けました。

フリーメイソン寺院

モンロビアの街を見下ろす丘の上で、ひときわ異彩を放つギリシャ神殿風の建物。ここはリベリアの歴史を語る上で欠かせない「グランド・マソニック・テンプル」です。

【フリーメイソン寺院】
権力の象徴: 建国以来歴代大統領を含むエリート層(米国系リベリア人)がここに集い、国の運命を左右する決断を下してきたといわれています。
悲劇と復興: 1980年のクーデター以降、旧支配層の象徴として攻撃され、内戦中は多くの避難民が住む廃墟となっていました。しかし現在は修復され、再びメイソンの活動拠点として復活しています。
現在: 内部は非公開ですが、「リベリアの激動の歴史」を無言で伝えるモンロビアのランドマークの一つです。

外観の写真を撮っていましたが、警備員に注意されて退散しました。
そのためギリシャ神殿風の正面の写真はありません!

壁の落書き

その後、最初の角を曲がったところにある廃墟付近で、放尿している人を見かけました。
一昔前の東京でもよく見たので特に気にしませんでしたが、近くには「DO NOT PEPE HERE」と書かれていました。実はこれ、現地英語で「立小便禁止」という意味。
また、「NO DUMPING BY MCC」とも書かれていますが、「ゴミ捨て禁止(モンロビア市(Monrovia City Corporation)より)」ということ。切実な事情がこうした手書きのサインから伝わってきます。
廃墟ではゴミを燃やしており、もしかしたら一緒に燃えたリベリア産小便を吸ってしまったかもしれません。。

デュコール・ホテルとJ.J.ロバーツ記念碑

坂を登るとデュコール・ホテル(Ducor Hotel)の廃墟が見えてきました。旧駐車場のあたりには輩グループがおり、お金を求められましたが無視して通過しました。

さらに坂を上るとジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ記念碑(Joseph J. Roberts Monument)が見えてきました。この付近でも輩から「中を見せるからお金をくれ」と声をかけられましたが、「後で」と言って通過しました。

そのすぐ先にデュコール・ホテルの入口があります。

【デュコール・ホテル】
黄金時代の象徴
:1960年代に開業したモンロビアの高級ホテルで、当時はリベリアを代表するホテルの一つでした。各国の要人や外交関係者も利用し、首都モンロビアの繁栄を象徴する存在でした。
激動の歴史:1989年から2003年の内戦で荒廃し、略奪を受けて放置されました。建物は戦闘や占拠の舞台にもなり、ホテルとしての機能は失われていきました。その後、2008年にリビア政府による再開発計画が立てられましたが、カダフィ政権崩壊後に計画は頓挫し、そのまま廃墟として残ることになりました。
現在の様子:現在は鉄筋の目立つ廃墟となっており、敷地は柵で囲まれて管理されているため、自由な立ち入りは制限されています。

続いてジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ記念碑に入ろうとしたところ、輩から「Get out」と言われたため一度離れました。その後、2USドル程を渡して入場しました。Joseph J. Robertsはリベリア初代大統領です。現地の人が強い訛りの英語で説明してくれましたが、残念ながら内容はほとんど理解できませんでした。

ロバーツはアメリカ合衆国バージニア州出身の自由黒人で、1847年の独立宣言において中心的な役割を果たした人物です。リベリアの「建国の父」として今も深く尊敬されており、彼の誕生日の3月15日は国の祝日になっています。

台座の周囲には、アメリカから解放奴隷が到着する様子や、先住民族との衝突、そして独立後の平和な社会を描いたレリーフが施されています。

モニュメントの周囲からは、木々の隙間からモンロビアの市街地や大西洋が見渡せました。

ブロード・ストリートとリベリア国立博物館

その後、この丘から伸びるブロード・ストリートを歩いて市街地へ移動しました。

Providence Baptist Churchは、現在の石造りの建物は1839年に完成したもので、リベリア最古のキリスト教教会の一つとされます。リベリア独立宣言の署名がこの教会の建物内で行われたという説があります。正面から外観の写真を撮ろうとしたところ中にいた人から注意されました。

通りには地球を模したモニュメント(Red Cross Monument)がありました。内戦やその後の混乱の中で重要な役割を果たした赤十字の人道活動や支援を象徴するものです。

リベリア国立博物館(入場料5USドル)に入りました。ガイドの案内もありましたが断りました。館内は写真撮影禁止(お金を渡して撮ったというブログあり)で、照明も暗く見づらい展示でした。エアコンはきいておらず、飲食も禁止です。
見学中ずっと係員の監視がありました。展示は3階構成で、1階は部族の仮面など、2階は各国からの贈り物や内戦とその後の歴史、3階は靴磨きの台座などがありました。説明パネルは英語なので助かりました。最後にギフトショップに案内されましたが、特に欲しいものはありませんでした。退出時に名前の記入を求められました。

アシュマン・ストリート

もうリベリア滞在も後半ですが、いまだリベリアドルの現金を持っていなかったためATMを探しました。ナショナルバンクにはATMがないと言われ、UBA(United Bank for Africa)に向かいました。

UBAは同じ通りのデュコール・ホテル側にあり、通り過ぎてしまっていました。そのまま戻るのもなんなので、寄り道しながら戻ることにしました。高台からプロビデンス島を撮影しようとしましたが、酔っているんだか何だかわからない人物がいたため撮影せず退散しました。

ファースト・ユナイテッド・メソジスト教会は、リベリアの歴代指導者たちの多くが通った場所として知られています。エリート層の多くが教会隣接のCollege of West Africaを卒業しており、教会と学校が一体となってリベリアのリーダーを育成してきました。

アシュマン・ストリートから少し下ってマーケットを見て回りました。かなり混沌としており、問題になりそうだったので写真は撮りませんでした。卸売の店もあるようでした。ランドール・ストリートを上り、ブロード・ストリートに戻りました。

UBAに到着しましたが、リベリアドル(LRD)とUSドルのATMがあり、LRDの方は長い行列で進みも遅い。50リベリアドルを払って順番(ファストパス!?)を買っている人もいましたが、日本の銀行ではありえない光景です。カードはチップリーダーにかざしてから操作する方式でした。無事にキャッシングでき、さらに銀行では運よく現金とコインも入手できました。その後、シャッターが閉まり始めたため脇から退出しました。

ホテルへはトゥクトゥク移動でもよかったのですが、徒歩で戻りました。ただ、熱中症の危険を感じました。14:40ごろホテルに戻ると、暑さと疲れとでコーラを2本飲み干しました。

遅めの昼食はホテルで。マルゲリータピザ(20USドル)を食べました。味は問題なく、量が多かったため持ち帰りにしてもらいました。写真は撮っていなかったようです。。

翌日はシエラレオネへ向かう予定ですが、強行軍のため早朝から出発します。シエラレオネ国境行きの乗合タクシー(Bush taxi)乗り場は、訪問時現在Google mapでNew Kru Townと表示されるドゥアラ地区にあります。早朝ということもあり、ホテルの受付でドゥアラ地区へのタクシーを予約しました。出発は6:30、料金は1台15USドルでした。受付は適正価格と言っていましたが、おそらく中間マージン込みの適正価格という意味で、実際は10USドル程度だと思われます。

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