シエラレオネの首都フリータウンを散策後、空港に向かいます。
旅行日:2024/11/22(金)-11/23(土) ※本文中の値段とビザ情報は訪問当時のものです。
【シエラレオネ】
シエラレオネは、西アフリカの大西洋沿いにある国。首都はフリータウンです。北と東をギニア、南東をリベリアに接しています。
18世紀末、イギリスによって解放奴隷の移住地としてフリータウンが建設され、その後イギリス植民地となりました。1961年にイギリスから独立しています。国名の「シエラレオネ」は、ポルトガル語で「ライオンの山脈」を意味する言葉に由来するとされています。
公用語は英語ですが、日常生活ではクリオ語(クレオール系言語)が広く共通語として使われています。そのほか、メンデ語やテムネ語など多様な民族言語も存在します。通貨はレオン(SLE)です。
経済はダイヤモンド、鉄鉱石、金、ボーキサイトなどの鉱業資源に大きく依存しています。特にダイヤモンドは世界的にも有名ですが、かつては内戦資金源となった「紛争ダイヤモンド」の問題でも知られました。農業ではコメやカカオ、コーヒーなども生産されていますが、依然として世界でも貧しい国の一つに数えられています。
政治的には、1991年から2002年にかけて激しい内戦が続きました。少年兵の存在や民間人への残虐行為などが国際的な衝撃を与え、多くの犠牲者を出しました。内戦終結後は国連など国際社会の支援を受けながら復興が進められ、現在は比較的安定した民主政治が維持されています。一方で、貧困、汚職、若年層の失業など課題も残っています。また、2014年には西アフリカで流行したエボラ出血熱によって大きな被害を受けました。
観光面では、美しい白砂のビーチや熱帯雨林、野生動物など豊かな自然が魅力です。特にフリータウン近郊のルンギ半島やトケ・ビーチは西アフリカ有数の美しい海岸として知られています。また、チンパンジー保護区であるタクガマ・チンパンジー・サンクチュアリも有名です。歴史的には、奴隷貿易と解放奴隷の歴史を伝える遺産が多く残されています。2024年現在、正式な世界遺産はありませんが、バンス島(奴隷貿易関連遺跡)やゴラ熱帯雨林国立公園などが世界遺産の暫定リストに登録されています。近年では「西アフリカ屈指の秘境ビーチリゾート」として、少しずつ注目を集め始めています。
シエラレオネでは2022年にデノミネーション(通貨単位の変更)が実施され、旧通貨の「0(ゼロ)」を3つ取った新通貨(SLE)が流通しています。
・旧紙幣は使用できません
旧紙幣(SLL)の流通・交換期限はすでに終了しています。現在は新紙幣(SLE)のみが有効です。両替時や決算時に、古い紙幣を掴まされないようご注意ください。
・価格確認に注意
現地の人々や個人商店では、今でも「古いレオン(ゼロが3つ多い単位)」の感覚で価格を言ってきたり表示しているケース(例:10新レオンを「10,000」と言うなど)があります。請求された額が「新レオン(SLE)」なのか「旧レオン(SLL)」なのか、必ずその場で確認しましょう。
ビザ
日本国籍の場合、シエラレオネはルンギ国際空港にてVOA取得可能です。リベリア国境(Bo (Waterside))でも取得できました。(2024年11月現在)
リベリアからの入国の旅行記はこちら。
Day1:フリータウン観光
ホテルで朝食。種類は思ったより豊富で、見た目も悪くありません。
ただ、味は「まあ普通」といったところ。
スタッフも無愛想で、アフリカの高級ホテルにありがちな“最低限の接客”という印象でした。

ホテルにプールがあったので外へ出ると、午前中にもかかわらず猛烈な暑さ。
天気アプリでは気温29℃、湿度76%となっていましたが、体感温度表示は36℃。その差7℃!
実際、空気はまとわりつくように重く、日本の真夏以上に厳しく感じました。
対岸の景色を少し見てみましたが、トタン的集落が並んでいました。




ホテルの敷地内からは海岸に集まるたくさんの船が見えました。
ここからも船で空港近くまで行けるそうですが真偽不明です。


この日はまず、フリータウン郊外にある鉄道博物館へ向かうことにしました。
Lumley Beach Roundaboutでトゥクトゥクを捕まえます。
運転手は「博物館そのものは知らないが、Cline Townなら知っている」と言うので乗ってみたものの、走り出してすぐに別の人へ道を聞き始め、問題がありそうなのでAberdeen Roundaboutで一旦下車しました。
別のトゥクトゥクがすぐ登場。
先ほど道を教えていた人経由でなんとなく場所を理解したらしく、「行ける」と言うので乗り換えました。
料金はSLE150です。
運転手いわく、外国人料金が高めなのは「客を乗せている間は警察に止められないが、帰りに空車で走っていると警察へ賄賂を払わされるから」とのことでした。生々しい話です。


道中、結構アップダウンがあり、山がちということを体感。
かつて探検家が「ライオンの山脈」と呼んだのも納得です。

鉄道博物館

フリータウンの鉄道博物館は、西アフリカでも珍しい鉄道系博物館の一つです。
植民地時代に使われていた蒸気機関車や客車が保存されています。


かつてシエラレオネには国内各地を結ぶ鉄道網が存在していましたが、1970年代にすべて廃止されました。
運行していた時代の写真を掲載するパネルをみると、旧フリータウン駅や、リベリアからの移動で通過したボーにも駅があったようです。
フリータウンを走るMountain RailwayにはCongo Town Bridgeのきれいなループ線などがありましたがすべて現在はなくなっています。
現在はそのあたりに「Old Railway Line」という通りの名前があり、おそらく廃線跡と思われます。
Mountain Railwayは海岸のマラリア地帯を避け、ヨーロッパの官僚が住んでいたHill Stationまで走っていました。




車両の展示もありました。
シエラレオネ鉄道の代々のGeneral Managerが使った車両は、Cline Townで完全に製造されたのか、英国製造のものをCline Townで改造したのか不明で調査中とのこと。後で出てくるQueen’s Coach同様車輪が小さくなっています。
Governor’s Coachは植民地時代のシエラレオネ総督専用の車両でした。
内部立入はできませんでしたが、覗くことは可能でした。清掃を行ったのみで、当時のものとのことです。




Queen’s Coachは1961年のエリザベス女王のシエラレオネ訪問のためにCline Townで造られましたが、訪問内容が変更され鉄道を利用することはありませんでした。
工場技師によると、トイレ、浴室などがあり、設備が整えられていたとのこと。
1991年から2002年の内戦中に、客車から金属板がはがされてしまいましたが、内戦後に修復されました。





ベイヤー・ピーコック社製の「ガーラット式蒸気機関車」(Beyer-Garratt 4-8-2 2-8-4 articulated locomotive no 73)は、狭軌鉄道(ナローゲージ)用としては世界最大級クラスの蒸気機関車として有名です。
数字は、前半ユニットが「4-8-2」、後半ユニットが「2-8-4」という意味で、巨大な機関車であることがわかる人にはわかります。
1955年から1956年にかけて製造された14両のうち、現存するのはこれ1台だけ。
機関車の前方には「QUEEN OF TONGA」と書かれています。落書きではなく、かつてトンガ王国の女王を乗せた特別列車を牽引したことに由来する愛称だそうです。


Pay Coachは、職員に給料を払うときに使われた車両で、到着するととても喜ばれたといいます。
現在は緑色ですが、当初はえんじ色だったと考えられています。


「No 40 Mk 1 inspection car」は、線路巡視用の小型点検車。
スピードメーターは80MPHまで目盛りがついていたとのこと。
「Wickham pump trolley」と呼ばれる手動式の軌道トロッコもありました。
人力でレバーを動かして線路上を走る保線用車両です。
実際に2人でレバーを上下に動かして、車両を走らせる体験ができました。結構重たいです。


「Manning Wardle 0-4-0T locomotive」は「Nellie」という愛称が付けられた小型蒸気機関車。
数字は順に、「先頭の補助車輪なし」「駆動輪が4つ」「後ろにも補助車輪なし」「タンク機関車(炭水車なしで本体に水タンクを内蔵)」という意味。
Fourah Bay Harbour建設会社のために製造されましたが、港湾建設輸送には能力不足であることが判明したとか。
修復についても、多くの部品が欠落していて、外装修復順番待ちはリストの最後尾にあるとのこと。
パネルは座席クラスについて書かれています。
1等車と2等車は布張り、3等車は木製のすのこの座席で、ガラス窓と日よけがついていたとのこと。
上が3等車、下が1等車で、だいぶ内装が異なります。


シエラレオネ鉄道は車や飛行機との競争と、一部の鉱山の閉鎖により1968年に路線縮小が始まり、1974年に旅客営業を終了しました。鉄道廃止を決定した大統領はその後、「鉄道を閉鎖すべきではなかった」と述べています。
展示規模は大きくありませんが、実際の車両を間近で見学できるため、鉄道好きにはかなり楽しめる場所でしょう。
入場料はSLE100です。
旧フォラーベイ・カレッジ
見学後は徒歩で旧フォラーベイ・カレッジへ向かいました。Google Mapは細い路地を案内してきましたが、途中で明らかに薬物をやっている人を見かけ、危険を感じました。結果的には、大通りのCollege Roadをそのまま歩くルートが正解でした。
入口の柵にいた人へ声を掛けると、中へ案内してくれました。さらに建物横にいた管理者らしき人物に写真撮影の許可をもらいます。無料で、後からチップを要求されることもありませんでした。
ただし建物内部には入れず、敷地を一周することもできません。

イギリスのキリスト教ミショナリー(教会宣教協会)によってつくられた「サハラ砂漠以南のアフリカで、最初に作られた西欧式の高等教育機関(大学)」です。1960年代まではイギリスの超名門Durham Universityの関連学校であり、イギリスの本校と同じカリキュラムを学び、同じ学位を取得することができました。西アフリカ全体の知識人やエリートを育ててきた歴史ある学校で、「西アフリカのアテネ」と呼ばれることもありました。


現在の大学機能は別キャンパスへ移っていますが、旧校舎は今も歴史的建築として残っています。
建物は赤茶色のレンガ造りで、イギリス植民地時代の雰囲気を色濃く残しています。
高い天井と大きな窓は、西アフリカの強い日差しや暑さを考慮した造りになっているようで、ヨーロッパ風建築でありながら現地環境への適応も感じられます。


1990年代のシエラレオネ内戦中、建物は家を失った多くの難民により占拠状態されていました。
1999年には、反政府勢力である革命統一戦線(RUF)によって建物に火を放たれ、内装や屋根などの木造部分、可燃物はすべて焼け落ちてしまいました。
長年の風雨の影響もあって老朽化はかなり進んでしまいましたが、丁寧な建築や手の込んだ装飾などから当時の雰囲気が伝わってきます。


コットンツリー
鉄道博物館近くのロータリーから再びトゥクトゥクで市内中心部へ向かいます。
今度は宝石関係の仕事をしている男性との相乗りで、料金は2人でSLE50でした。
向かった先は、フリータウンの象徴「コットンツリー」。
しかし2023年の落雷被害で大きく倒壊してしまっており、かつての圧倒的な存在感は失われていました。
周囲には警察官が立ち、国家機関の建物もあるため、写真の画角にも少し気を使います。

国立博物館
続いて国立博物館へ向かいました。入場料はSLE100です。
実はシエラレオネ鉄道の旧コットン・ツリー駅です。


館内ではガイドが付き、比較的わかりやすい英語で展示を説明してくれます。
実質的にチップ前提なので、SLE50程度は用意しておくとよいでしょう。
展示は二棟に分かれており、最初の建物は撮影禁止。
地方民族の仮面やダンス衣装、伝統楽器などが並び、かなり見応えがあります。
二つ目の建物は撮影可能で、歴代大統領の写真、旧紙幣、奴隷制度の歴史展示などが展示されていました。


こちらはパンアフリカ的織物。近くで見ると本当に織物でした。


ただこの博物館は空調はなく、かなり埃っぽいです。
保存状態も決して良いとは言えず、「貴重な資料がもったいない」と感じる部分もありました。


博物館の向かいには、貧しい人々へ尽くした医師の像が立っています。


その後Siaka Stevens Streetを歩いていると、突然男が近づいてきました。
こちらではなく、後ろを歩いていた別の通行人の腕を直接つかみ、食べ物なのか金なのか、かなり強引に物乞いを始めます。
その場を早々と離れてマルーン教会へ向かいました。
現場は国立博物館とマルーン教会の間の区画です。

マルーン教会(St. John’s Maroon Church)

マルーン教会では、管理人らしき60代くらいのおじいさんに「中を見たい」と伝えると、快く開けてくれました。
ここはシエラレオネ最古の教会です。
「マルーン」とは、もともとカリブ海地域などで奴隷制度から逃れて独立共同体を築いた人々を指す言葉です。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、その一部がイギリスによってシエラレオネへ移住させられ、フリータウン形成の一翼を担いました。
この教会は、そうしたマルーン移民たちの信仰の中心として建設されたものです。


壁には亡くなった方をしのぶパネルがあちこちにはめられています。
左の黒いパネルは1829年に23歳で亡くなったイングランド出身の宣教師のもの。
主祭壇横のパネルは、1887年に亡くなった造船技師でこの教会の管理人を務めた方について書かれていました。


さらに、外の鐘まで鳴らしてくれました。
最後に教会への寄付としてSLE30を置くことにしました。


マルーン教会
帰りはなかなかトゥクトゥクが捕まらず、Commercial Bank前で10分以上待機しました。
ようやく見つけた車両はSLE80とやや安く、逆に少し不安になりましたが、特に問題はありませんでした。
ただ、途中でパレードによる交通規制があり、大渋滞。
遠回りも重なり、ホテル到着までかなり時間がかかりました。
さらに移動中、ドライバーが警察官へ現金を渡している場面も目撃しました。
80レオンのうちどれくらいが賄賂に消えたのでしょうか。
車体には「Any tongue that rises against me shall be condemned」というステッカーが貼られていました。
元ネタは聖書(イザヤ書 54:17)の「No weapon that is formed against thee shall prosper; and every tongue that shall rise against thee in judgment thou shalt condemn.」と思われ、ここでは「私への悪口や攻撃は通用しない」といった意味と思われます。
宗教由来のメッセージをもじって、自分自身の強力な決意表明や、魔除けやお守りのようにカスタマイズしているのでしょう。

それにしても、この暑さは本当に危険です。
最近の日本の猛暑に近い感覚で、油断すると簡単に熱中症になります。
ホテルで冷やしておいた水を持参して正解でした。
夜はホテルで夕食です。
まず冷えたコーラが異常においしい!身体に染み込むとはまさにこのことです。
そして注文したビーフバーガーが予想外の当たり。疲れた一日の最後に、満足度の高い夕食になりました。


Day2
朝食前、まずホテルのレセプションで空港行きフェリーを予約しました。
料金はUSD45、もしくはSLE1,170とのこと。
手持ちの現金SLE287を使い、残りのSLE883をクレジットカードで支払います。ただ計算してみると、USD45は実勢レートではSLE1,012程度。つまり実質的にUSD7近く余計に払っていることになります。
朝食後は、出発まで涼しい自室で休憩しました。

当初は12時出発と聞いていたため、11時50分ごろにチェックアウトしようとレセプションへ向かうと、「出発は12時30分になった」と言われます。


しかし、その後も全然迎えが来ません。
ホテルのマネージャーへ「本当に大丈夫なのか」と確認すると、「もし乗り遅れても私の船で行けるから大丈夫だ」などと言っていました。
シエラレオネらしい、安心していいのか不安になるのか分からない説明です。
結局、12時48分になってようやく送迎車が到着し、ホテルを出発。
12時55分にフェリーターミナルへ到着しました。


ここで変態旅行者の皆様に朗報です。
今回空港シャトルフェリーを出しているSea Coach Expressはコナクリ行きのフェリーを運航しているとのこと!
料金はUSD100前後からという噂ですが、当日の時刻変更、荷物が別ボートになる可能性、コナクリ到着後の入国手続きが悪質という情報もあり、上級者向けです。
隣に掲載した時刻表は空港シャトルフェリーの時刻表。航空便にあわせて運行しているのがわかります。


建物入口で制服姿の係員にチケットを見せると、別の係員が現れ、そのまま冷房の効いたVIPルームへ案内されます。

チケットを確認しながらノートへ何か書き込んでいましたが、説明は特にありません。
こちらのフライトは17時発のASKY航空便なので、「13時のフェリーですよね?」と確認すると、係員は「ああ確かに13時だね」と言ったあと、自分の腕時計を見て「今13時だね」と真顔で答えてきました。
どうにも話が噛み合わず、この人に頼るのは危険だと判断。
特に指示はされていませんでしたが、念のため自分で乗り場へ向かってみることにしました。
すると別の係員が「早く乗れ!」という感じで案内しており、慌てて乗船。
13時の便に13:02という、ギリギリアウトのタイミングですべり込みました。
どういうわけか他の乗客たちも同じタイミングで乗ってきました。
段取りは最後までよく分かりませんでしたが、とにかく乗れて一安心です。

フェリーは13時15分に出港。
船内は風があまり入らず、クーラーもないため少し暑め。ただ波は非常に穏やかで、航行自体は快適でした。

13時57分、空港のある対岸の桟橋に到着。

14時すぎにフェリー会社の車で空港へ向かいます。
なぜか乗客3人だけ別の車に乗せられ、他の人たちは別便でターミナルへ向かっていました。
最後に下船した組だったので、2便目扱いだったのかもしれません。

14時14分、10分ほどで空港に到着。
埠頭と空港は近いのですが、建物は滑走路挟んで反対にありやや時間がかかります。

このターミナルビルは2023年開業ということもあり、かなりきれいです。
トルコの会社による建設で、完成後同社が25年間空港を運営し、その収益で建設コストを回収、その後空港の全所有権・運営権がシエラレオネ政府に無償で譲渡される予定です。政府としては無借金で建設できたことになります。
前政権時代には「マママー」という別の場所に中国の融資(約4億ドル)で新しい国際空港を建設する計画がありましたが、現在のビオ政権は「国が巨額の債務(借金)を背負うことになる」として中国案をキャンセルしました。
空港入口ではパスポートと航空券を確認されましたが、賄賂要求などはありませんでした。
チェックイン開始は15時からとのことで、空港内のカフェで休憩することにしました。
注文したチーズケーキ(USD6)は、卵タルトみたい・・・?
今回の西アフリカ旅では、なかなか“本物のチーズケーキ”に出会えません。
以前ギニアビサウで食べたものは、生クリームケーキのようなものでした。
コーラはUSD4。この店はクレカが使えず現金払いのみです。


15時になりガンビア行きの便のチェックインが始まりました。
列へ並ぶ前に、再びパスポートと航空券チェックがあります。
さらに次の目的地であるガンビアのビザについて質問されました。
「なぜビザはセネガル大使の名前なのか」と聞かれたため、「日本にはガンビア大使館がないからだ」と説明すると、問題なく通過できました。
ちなみに日本では、ガンビアのビザをセネガル大使館で簡単に取得できます。
その後、パスポート裏にシールを貼られ、2階へ移動。
次はSecuripassの提示ですが、スマホ画面を提示するだけで問題ありませんでした。
係員が画面をスマホで撮影していました。
さらに別の係員によるパスポートと搭乗券チェックがあり、ようやく出国審査です。
担当はかなり迫力のある女性審査官でした。
宿泊していたホテル名と渡航目的を聞かれ、指紋10本の採取と顔写真撮影で終了です。


すぐ後ろにあるセキュリティチェックは一般的な内容で、靴を脱ぎ、ボディチェックあり。
検査係からは「仕事で来たのか?」「中国へ帰るのか?」などと聞かれます。
西アフリカに限らず、もう東アジア系=中国人という認識ですね。
世界の誰もまっさきに日本人だとは思わなくなっています。
ここまで一度も賄賂要求がありませんでした!
搭乗ゲート周辺には、おしゃれな音楽が流れています。
施設内にはカフェが一軒あるのみで、支払いはドルかレオン。カードが使えるかは不明です。
なお、トイレでもチップ要求はありませんでした。
そして搭乗直前、最後にもう一度荷物チェックとボディチェックがあります。
荷物検査はかなりアナログで、係員がバッグを開け、中身を目視確認する方式でした。
17時05分、ASKY航空KP22便でフリータウンを出発。

17:05 FNA→18:20 BJL ASKY航空 KP22
ちょうど夕暮れ時で風景はとてもきれいでした。
短いフライト時間ですが機内食がでました。
安定の不味さで、パン自体が本当においしくありませんでした。


ほぼ定刻の18時25分、次の目的地ガンビアのバンジュールへ到着しました。

