旅行日:2024/9/26 ※本文中の値段は訪問当時のものです。
クールー観光と言えばサリュー諸島とギアナ宇宙センター。まずはサリュー諸島へ向かいます。
この日も湿気が多くて日差しの下は大変。後でも書きますが、船にもサン・ジョセフ島にも飲み物販売はないので、午前中の飲み物は船に乗る前に準備しておく必要があります。熱中症に注意しながら観光スタート!
フランス領ギアナ
南米大陸にあるフランスの海外県ならびに海外地域圏。
17世紀フランス人がギアナ地方に港を建設したことをきっかけに入植者が入るようになり、カイエンヌの町が成立。1667年のブレダの和約により、ギアナをオランダ、イングランドと分割。一時ポルトガルに占領されたが返還され、以来フランス領となっている。
フランス革命後ギアナに流刑地が建設されるようになり、19世紀から20世紀半ばまでに、政治犯や重罪人が囚人してギアナに送られ、「呪われた土地」などと呼ばれていた。クールー沖合いにはディアブル島=「悪魔の島」と呼ばれる島もある。
クールーにはフランス国立宇宙研究センターのギアナ宇宙センターがあり、ロケットの打ち上げを行っている。
フェリーでサリュー諸島へ
6:30すぎにホテルにて朝食を済ませました。おいしくて、さすが美食の国フランス。
前日にホテルでタクシー予約をしていました。7:20という話だったのですが勝手に7:30の予約になっており、結局7:35に来ました。そうです、ここはフランスです。まあ来ただけありがたいです。
7:35 Hotel Atlantis→7:45 Ponton des Balourous €10現金払い
チケット売場に到着したらちょうど窓口が開くところでした。


チケットは事前にネット予約したのですが、支払いができずにエラーとなっていました。メールで問い合わせたら直接窓口で払ってくださいとのこと。
その旨を伝えると、そもそも予約すら入っていませんでした。。パスポートを提示してチケット購入。予約推奨と言われていましたが、結果買えたのでよかったです。英語が通じたのはありがたポイント。
今回はせっかくなのでロワイヤル島とサン・ジョセフ島に行くツアーにしました。ディアブル島へは行けません。




8:30出港の予定でしたが、8:44でした。また言いますが、ここはフランスです。
乗る前に切符売り場とは別棟にトイレありますが、船にも一応あります。風はほぼなし、日陰はマシですが湿気は気になるところ。船内での飲み物販売はありませんでした。
8:44 クールー(Ponton des Balourous)→10:02 ロワイヤル島
10:23 ロワイヤル島→10:26 サン・ジョセフ島 往復€52、クレカ払い


ロワイヤル島でいったん下船。サン・ジョセフ島行きに乗り換えますが、この便はミニボート。10:17に出発しましたが乗り切れなかったので、次便で10:23出発しました。
乗ってしまえば3分でサン・ジョセフ島に到着。
さっそく一周してみます。


サン・ジョセフ島
まずは最大の見どころの収容所跡へ。その後、港に戻ってぐるり一周時計回りします。
収容所跡へはボート乗り場から右の方へ歩いていきます。看板も出ているし小さい島なので迷うことはなさそう。
島にはトイレも商店もないので、水は船に乗る前に調達しておかないと厳しいです。


やがて階段が見えてくるので上っていきます。階段はあまり整備されていない感じ。


階段を上ると収容所跡がありました。かなり大きくて圧倒されます。
囚人の部屋はかなりの数があります。現在はどれも草木が生えていて、ジャングルに戻ろうとしているかのようです。




反対側にまわるとファサードのような感じがするので、こちらが正面だったのかも?


立派な収容所跡でかなり見ごたえがありました。まだ少し時間があるのでサン・ジョセフ島を一周してみます。道は一本しかないので迷うことはありません。
途中、ディアブル島が見えました。ここにも収容所Geôle d’Alfred Dreyfusがあったようです。ドレフュス事件(フランス陸軍でユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)により、ドレフュスはここに収容されていました。その後真犯人が見つかり最終的に無罪判決を受けます。冤罪の根底にユダヤ人差別があったことからイスラエル建国運動につながっていったので、こんな僻地ですが歴史的には重要な場所だったりします。



しばらく歩くと、二手に分かれる場所があります。石が敷き詰められた上り坂は、先ほどの収容所跡につながっています。



やがてビーチが見えてきました。ターコイズブルーのきれいな海ですが、ときどき波が荒くなります。
一緒にボートに乗ってきた他のお客さんはほとんどが海水浴目当て。一周歩いている人はかなりの少数派でした。
ビーチの周辺には看守、医師、修道女などの墓地が広がっていました。




さらに歩いていきます。海際の道は本当に心地よい!流刑地だったとは思えません。
遠くに南米大陸が見えました。クールーの町の平坦な建物も見ることができました。
海はきれいなのですが、所々泡のようなものが浮いていました。なんだろう・・・。




1時間ほどで一周。
ロワイヤル島行きは12:30発とのことですが、10分遅れで出発。今回は一便目に乗れました。
12:40 サン・ジョセフ島→12:42 ロワイヤル島
ロワイヤル島
何はともあれランチ。お弁当持参でない場合は、山の上にあるホテルのビュッフェ一択になります。
ビュッフェだけなら直接席に座ればよいようですが、飲み物はフロントで注文。恐らくマネージャーさんだと思いますが、英語を話してくれる感じの良い方でした。
29ユーロとモノの割にかなり高額ですが、味はよかったです。ジュースは5ユーロでした。クレカ払い可能です。
果物を落としてしまったら、すかさず蟻がやってきます。






レストランからはディアブル島がよく見えました。ここからも収容所Geôle d’Alfred Dreyfusが見えますが、横からのアングルになります。


ランチの後はホテル周辺を散策。Barrackを1997~98年に修復したホテル、隣にある貯水池、看守の家は現在も人が住んでいたりと、当時の建物が有効活用されています。貯水池は満水になることはあまりなかったようですが、洗濯や入浴・トイレに使われたそうです。




チャペル、病院跡は中には入れず柵から覗くだけでした。囚人にはミサが義務付けられていたようです。チャペルはだいぶ荒廃していたようですが、後から再建されました。病院は外観は維持されていますが、中は荒廃したままです。





病院の裏には灯台があります。当初病院の屋上についていたようで、現在の灯台は1934年に建設されたものとのこと。この向かいにはヘリポートがありました。
ヘリポートに向かって移送収容所Le Camp de la Transportation跡があります。長い建物(写真の手前と一番奥)が広場に対して二つ向き合っていて、それぞれ200人を収容していました。
ヘリポートから少し下ると墓地があります。写真は看守などの子供の墓地で、47基あるようです。看守、医師、修道女などの墓地はサン・ジョセフ島で先ほど見たもので、囚人の墓地はディアブル島にあります。



ちなみに、地図の道路に沿って下り始めてしまいましたが何もないので、病院跡からお墓に直接下るのがおすすめです。博物館近くまで見るものはなく、景色も良くありません。
ぐるっと歩いて島の中心部に戻ってきました。ロワイヤル島はミニ八丈島のような感じで、二つの丘をはさんで中央部の谷がやや平坦になっています。そしてこのあたりにも建物がいくつも残っています。
Commandement et Coopérativeは博物館らしいのですが閉鎖中でした。
近くの石垣を上がっていくとトイレがあります。かつてMagasin des culturesだったようです。




少し北の方へ進むと、ディアブル島が見えてきます。さっきから何度も見ていますが、Geôle d’Alfred Dreyfusがここからも良く見えます。展望スポットには中国語の記念碑がありました。




さらに進むとワークショップL’atelier des travaux跡が見えてきます。立派なファサードが残り見ごたえがあります。
その裏手の茂みを上っていくと精神病の隔離施設Asile d’aliénés avec cellules et logements pour deux ménagesがありますが、かなり荒廃しています。帰るとき、中央部Logement et Bureau du Gestionnaire近くに続く整備された道があるのに気付きました。L’atelier des travaux側から来るのはぜひやめましょう。。



少し早く船着き場に戻ったら、すでに結構な人数が広場でくつろぎながら船を待っていました。
まだ船が出るまで時間があるのと、日を避ける場所がないので、近くを散策しながら船を待ちます。
船着き場近くからサン・ジョセフ島がよく見ます。なんとウミガメも見ることができました!


ロワイヤル島からフェリーで戻ります
帰りの船は16:30定刻出航。サリュー諸島に別れを告げます。本当にサリュー(じゃあね)!
16:30 ロワイヤル島→17:53クールー(Ponton des Balourous)



なんと帰りの足がない!バスは走っていましたが乗り場も行き先もわからず、歩いてホテルに戻ることにしました。




途中ECOMAXで夕食調達でもと思ったのですが、家庭用の食品だけで、旅行者がつまめる気の利いた食べ物はなく、お菓子にしました。
暗い中歩いてホテルまで戻りましたが、見た目には”ヨーロッパの観光地ではない地方都市”のような様相で、特に危なそうな雰囲気はありませんでした。


結局19:30ごろホテルに到着。翌日はギアナ宇宙センターに行く予定です。