旅行日:2024/11/14(木)-15(金) ※本文中の値段は訪問当時のものです。
モーリタニアの首都ヌアクショットから3泊4日でワダンとシンゲッティに行きました。
3日目と4日目ではいよいよメインとなる世界遺産に登録されているワダンとシンゲッティを訪問です。
今回は時間と労力節約を買ってプライベートツアーにしました。
Tour in Mauritaniaにて3泊4日、英語ガイドとドライバーでEUR 1,000でした。
【モーリタニア】
世界遺産に登録されているシンゲッティ、ワダン、ティシット、ワラタの隊商都市は、マリ国境に近いKoumbi Salehを首都とするガーナ王国時代に繁栄。ガーナ王国滅亡後の12世紀ごろ、シンゲッティ王国はメッカの巡礼地の出発点となり、イスラムの学者、学生、宗教関係者などが集まるようになります。
ワダンは金や塩の中継地として栄えますが、交易路の変更でその後衰退。
19世紀にフランスが進出してきて、フランス領西アフリカに含められます。
1960年に独立。以後、たびたびクーデターを経ながら現在に至ります。
日本との関係では、特に元国際協力事業団(現JICA)の中村正明氏が現地でタコ漁を指導したことで、現在もタコの重要な輸出先となっています。ただしタコはモーリタニアでは消費されません。
ツアー3日目
世界遺産ワダン旧市街
7時ごろ停電。。真っ暗な部屋で支度できるわけもなく、とりあえず外に出て世界遺産となっているワダン旧市街の全景を撮影。
宿の目の前から見えるのでこういうときありがたい!?



7:30 朝食という話でしたが用意されておらず、20分程遅れてスタート。待った割には質素なものでしたが、出してもらえるだけありがたいです。

【ワダン旧市街】
サハラ砂漠横断貿易の中継地で、金やイジル鉱山から岩塩を運ぶ隊商の拠点でした。世界遺産に登録されている旧市街は、廃墟となってはいるものの、ほぼ完全な形で残っています。
町は高台の上と下に広がっており、上部にある廃墟となったテゲルベヤットは、最古のものとされています。当初はモスクがあったと考えられていますが、現在は何も残っていません。
下部には、町が拡大した15世紀に建てられ、19世紀に放棄されたとされるモスクがあります。馬蹄形のアーチの一部は今も残っており、壁の一部には粘土質の漆喰の残骸が残っています。モスクの東端は南北24m、ミナレットが建っていた西端は南北17m、東西は15mでした。
8:28 宿を出発、車で高台の上にのぼり、8:34 ワダン旧市街入口のミナレット前に到着。入場料200ウギアはツアー代込でした。
ここで現地ガイドと合流。ガイド方式でいろいろ説明してくれますがフランス語のみです。


入るとすぐにレンガ積みの町並みで、雰囲気は最高です。
この通りはRue de 40 savantといい、旧市街の目抜き通りになっています。


メインの通りを右に曲がり、しばらく進むと、偉大な学者であり聖人であったアフマド・アル・ムスタファの家があります。現在はそのお墓となっているそうです。
もともとは扉が閉まっていましたが、現地ガイド氏が写真を撮るために開けてくれました。残念ながらムスリムしか入れず、入口から覗くのみ。手前の壁にも、中庭挟んで奥の入口から見える壁にも何やら文字が書いてありました。



次のスポットに行く途中、いい眺めのフォトスポットがありました。集落が丘の下まで続いていたことがわかります。ここからはサハラ砂漠も見渡せます。


続いては侵入者を見張る人の家。中庭を囲うように部屋が並ぶ構造になっていました。
深さ13mの井戸もあります。井戸は家の外と中の2ヶ所にあるそうですが、写真は家の中の方です。



見張りの家を出て歩いていたら、マーモット発見!
岩陰からちょこんと顔を出している子も!


細い路地を歩いていきます。
ワダンの町の創設者Ethmane氏、Yacoub氏、Ali氏(メッカ巡礼をしたためそれぞれEl Hadjがついている)の家の前を素通りし進むと、壁にいろいろなものが飾られているエリアに。
お土産屋さんでした。もとはこの一帯にお土産屋が並んでいたそうですが、現地ガイド氏の話によると、政府がいくらか払ってどいてもらったらしいです。



お土産屋さんのあたりからもサハラ砂漠が一望できます。

坂を下って、丘の下に続く集落へ向かいます。あまり広い区画ではなく、下りきったらもう出口。
近くにはモスクがありましたが、中には入れませんでした。


現地ガイドにチップ少々払って退場。9:22 ワダンを後にしました。
こちら側からも入場可能なようです。見取り図が倒れ掛かっていましたので掲載しておきます。


ベルベル人の村Tanouchert
次はシンゲッティに向かいますが、アタールから来たときの道路は使わず、砂漠の中を行くようです。



10:17 砂漠の中に現れるベルベル人の村Tanouchertで休憩。
例によってティータイム。本当にことあるごとにアタヤばかり飲みますね。
本来は3杯いただくのですが、今回は出発まで20分しかないそうなので一杯だけにして村を散策しました。



工芸品売りの女性が歩いてきて、なかなかセールスしてきますが特にほしいものもなく丁重にお断り。
モーリタニアではお土産を買えないシチュエーションはあまりなさそうです。
集落に迫る砂丘などを見学してあっという間に20分経ってしまいました。


10:43 Tanouchertを出発。
車に乗ったときなんか後ろに人の気配がしたのですが、いつの間にか車の荷台に村の人を乗せてあげたようです。
シンゲッティの手前、小さなオアシスとモスクの見えるところでフォトストップ。素晴らしい!


シンゲッティの宿に到着
シンゲッティの宿に到着しました。自称ファイブ・スターのAuberge Eden chez Mahmoud Ould Beijaです。
部屋はまあまあ。ベッドフレームは部屋によりあったりなかったりするようですが、今回はありの方でした。
石鹸の類は一切なし。タオルもトイレットペーパーもなかったので、お願いしたら貸してくれました。
シャワーはもちろん水のみですが、水が出るだけ立派です。水圧は激しく弱い仕様。排水溝はひどい臭いで、薬剤を持っていたら掃除したいくらい。
ドアは鍵がないので、心配な場合は南京錠要持参です。
金庫は、鍵がないくらいなので当然ありません。wifi、ドライヤー、ゴミ箱など何にもありません!



建物の上からは、シンゲッティの市内が少し見渡せます。
「砂に埋もれゆく町」と新聞に書かれたことがありましたが、道路が舗装されていないせいかそんなふうにも見えてきます。


13:40 昼食は宿でいただきます。
のびきったパスタとおいしくないシチューでした。なんと砂が入ってます。。
あまりにじゃりじゃり言うので、パンを持ってきてもらったのですが、これはこれで変に湿った感じがありおいしくない・・・。まあ贅沢は言えません。

食後、夕方のシンゲッティ観光まで自由時間となりました。
ついに石鹸すらない宿になったため、この時間を使って買い出しに行くことに。
Google map(オフライン保存)を頼りに町を少し歩きましたが、今一つ店なのか民家なのかわかりにくくて、いくつか建物内に向かって適当に声を掛けたら商店がありました。
石鹸は10ウギア。使ってみたら・・・くさい !
でも一晩なので問題ないです。次の人が使うかもしれないので、そのまま置いて行くことにしました(くさいし)。Googleのレビューに「石鹸のみがあります」と書かれていましたが、それはたぶん私のです・・・。
その商店のご主人に飲み物ないかと聞いたところ、別の商店を教えてくれました。
しかもわざわざついてきてくださる!本当に親切です。ファンタ、コーラともに20ウギアずつでした。



自由時間とはいえ灼熱のため、ちょっと散策しただけで簡単に熱中症になりそう。
宿に戻って、コーヒーを作ってもらいました。これは砂なしバージョン。チップで25ウギアお支払い。
世界遺産シンゲッティ旧市街
16:30すぎにピックアップがやってきて宿を出発。シンゲッティ旧市街(クサール)の観光スタートです。
【シンゲッティ】
777年に建造された町で、11世紀までベルベル人らによる交易の中心地でした。
12世紀ごろ、シンゲッティ王国はメッカの巡礼地の出発点となり、イスラムの学者、学生、宗教関係者などが集まるようになります。
13世紀に地中海とアフリカのサハラ交易の拠点として栄え、クサールと呼ばれる現在の旧市街ができました。城壁はなくなってしまいましたが、当時の建物が一部に残っていると言います。
サハラ砂漠の中にあり、木々の伐採や気候変動により砂漠が拡大していることから「砂に埋もれゆく町」として新聞に掲載されたこともあります(2022/08/24読売新聞など)。実際に砂に埋もれてしまった家屋も存在し、町の真ん中に砂のベルトが存在します。主にその北が新市街で宿などもあり、南には貴重な古文書館(図書館ともいわれる)がいくつかあります。
16:38 Biblliothéque Habott に到着。入場料はツアー代込。
シンゲッティはいくつか古文書館があり、ここはその一つ。1400以上のマニュスクリプトが現存しているといいます。


管理人が一冊ずつ丁寧にページをめくって紹介してくれます。
現地人が書いたもののほか、メッカ巡礼の往復で持ち帰ったもの、アンダルシアから持ってきたものなどがあり、内容は地理学、数学など多岐にわたります。
最古のものは手で書かれたという13世紀のコーランの解説書。
表紙はやぎの皮で、黒インクはアラビアゴム、青色の皮はインディゴといいます。





数学本は本文の周囲に注釈の文字が斜め書きで入っています。文字だらけではありますが、おしゃれな書き方です。




長い歴史の中でねずみやターマイトに食われてしまい、穴が開いてしまったものもあるのが残念。
でも、古文書はかなり見ごたえがあるので、アラビア文字が読めなくても見学する価値はあると思いました。
満足して建物を出ると、売り子の女性たちが押し寄せてくるので丁重にお断りし、子供はカドーと言ってくるので適当にあしらいます。
現実に戻った感じ。。
17:13 続いてシンゲッティのモスク周辺を散策。16世紀の石造りのモスクで、外からはミナレットが見えるのみ。ムスリム以外立入禁止です。
写真数枚のフォトストップというつもりだったようなのですが、もう来ないかもしれないので、ガイドの機嫌が悪くならないように手短かに一周しました。




奥から写真を撮っていたら、ここでも売り子の女性たちがやってきましたが、にこやかにおしゃべりしつつ丁重にお断り。気を遣います。
17:25ごろモスクを出発し、17:33 町の外れにある砂丘へ四駆で駆け上がりました。
なるほど、ここでサンセットを見せたいからモスクは急げという感じだったのかと納得。
ここにも売り子がいます。モーリタニアは本当にお土産には事欠きません。
夕陽をみてたら、フランス人をはじめ観光客が集まってきました。ラクダで来る人もいました。この日シンゲッティに泊まっている全員という可能性も否定できません。




サハラ砂漠の夕日は初めてではないのですが、シンゲッティでの夕焼けは本当に心に残りました。




日没後数分は夕焼けが残ってとても美しかったです。
ふと見ると車を押している人たちが・・・砂にタイヤをとられてしまったようです。乗ってきたのとは別の車でしたが、人がいるうちに帰った方がよさそうです。



素晴らしい夕日を堪能して18:24ごろ出発、18:30宿に戻りました。
部屋に戻るとおびただしい数の蚊!隙間から蚊が入ってきてしまうらしく、とりあえずスプレーして部屋を出て一旦食堂へ。
食堂に戻ってみると、置いていたチップだけとってランチの食器もごみも全く片付けていませんでした。ここではもうチップなしかな・・・。
19:30 夕飯と言っていたが、念のためキッチンに聞きに行ったら何らの準備もしていない。。
あせって作ろうとしてくれはしました。
結局20時になって食事が出てきました。
が!
スープ、米、シチューのすべてに砂が入ってる!さすが砂に埋もれ行く町だけあります。
まるで新しいスパイスのように砂が入っていました。
豆のスープは苦くておいしくない、米はおいしくはないが問題ない、シチューもおいしくない・・・とにかくモーリタニアツアーで一番おいしくなかったです。
ツアーガイドが言うには、ここが唯一の五つ星で一番食事がクリーンとのこと。
クリーンな砂が入っているということでしょうか。。
さすがにこれでは困るのでコーラを注文。すでに暗いので商店に買いに行ってもらいました。
1リットルをお駄賃込で40ウギア。
この宿は結構日本人が泊まっているのですが、みなさん砂をおいしく召し上がったのでしょうか。。

部屋に戻ってみると蚊がボタボタ落ちていて、スプレーの素晴らしい効果を実感。
これまでの様子だと蚊帳は当てにならないと判断し、持参した蚊帳を設置して寝ることにしました。
23:30ごろまで外で音楽が鳴っていましたが・・・。

ちなみに町のかなりはずれにあるAuberge Zarga Abdouには日本語を少しだけ話せるご主人がいるということで、日本人が泊まりに行っているようです。実際に宿泊していないので詳細は不明ですが、検討してみてもいいかもしれません。
ツアー4日目
朝になりました。宿の屋上から見る朝日も素晴らしかったです。肌寒くて上着必要でした。

7:30 宿で朝食をいただきます。
食べる気がしないパン再び・・・。ヌメラやヨーグルトはまだ行程が長いためやめておきました。
仕方がないので実は持参していたかもめの玉子を食べて、本当に感動!日本のお菓子はおいしすぎます。

シンゲッティ~テルジット間の絶景スポット
8:00すぎに宿を出発し、今度は道路を通ってヌアクショットまで戻ります。
Ebnou Passの手前で幹線道路を外れて南下し、Mhairithの集落でフォトストップ。高台があり集落を見下ろせる絶景スポットです。ドーム型の建物が点在しています。
例によって土産物売りがいました。集落内を走っているときにフォトストップできないか聞いたのですが待ってと言われて高台まで来てしまったのですが、土産物屋がいる場所でストップしたかったのでしょうか。



途中から久々のアスファルトで快適!と思っていたらテルジット周辺はダートでした。
テルジットへは坂を下っていくのですが、到着する直前絶景スポットがありました。
今回のモーリタニア旅行は絶景づくしですが、これもまた素晴らしい眺め!

テルジットの集落が見渡せる高台でもフォトストップ。
三角錐の茅葺屋根の家があちこちにありました。子供たちはサッカーしているようです。
このあたりには木々が生えていますが、水がある証拠です。


テルジット・オアシス
11:09 テルジット集落の一番奥にあるTerjit oasis に到着しました。入場料はこれまたツアー代込み。
ゲートから遊歩道を少し歩くと水がちょろちょろと流れていました。
岩から落ちてくる水をバケツで貯めていましたが、すぐ近くは砂漠ですし、こんな荒野で水は貴重です。
ちなみにここにもちょっとした土産物コーナーがありました。すべての観光スポットにある気がしてきました。




ヌアクショットへ向けて出発
テルジットを出るときに久々の検問。コピーは見せていましたが渡しませんでした。
その後検問3回、コピー提出1回。うち1回はコピーを撮影して戻してきたものがあり、ニューパターンを発見。
南側に黒い山がみえてくるとアクジュジットAkjoujtです。
ここでランチ休憩。例によってアタヤがでてきます。日本も昔は人の家にお邪魔すると緑茶が必ず出てきましたが、同じ感覚な気がします。
ツアー最後の食事はピラフ。味は悪くなかったですが、このとき肉がぶら下がってるのを見ながら食べており、肉の状態が気になるので食欲減退・・・。景色って大事。
冷たいコーラは別料金でMRU30でした。



13:35 ヌアクショットに向けて出発。
例によって検問三昧。通過、コピーを撮影、4回連続通過、コピー渡し、と全部で7回もありました。
ヌアクショット行きは逆方向と違ってスルーが多かった印象です。


ヌアクショットのホテル到着
16:38 アザライ・ホテル(AZALAÏ HOTEL)に到着。無事ヌアクショットに戻ってきました。
近くに大統領官邸があるからか、入口は厳重な警備。フロントは英語を話すので安心です。
久々に都市型ホテルで感動。ベッドは適度な硬さ、シャワーはお湯が出て水圧もそこそこで、快適!
ミニボトルのシャンプー、シャワージェル、石鹸、ティッシュ、ドライヤー、ミニバー仕様の冷蔵庫、金庫、可動ハンガー6本、電気ケトル、ペットボトル750ml一本無料、ティーバッグ、インスタントコーヒーありと、前日とうってかわって至れり尽くせり!!




もう外に出るのもめんどくさくて、ホテル内のレストランで久々のまともな食事をとることにしました。
レストランの名前はChinguitty。朝いたシンゲッティみたいなネーミング。
Pizza au poulet MRU300 生地が厚めでしたがおいしくいただきました。
Jus d’Oranges Presséss MRU150 きゅうりが挟まっているのは不思議ですが、味は良かったです。
ごちそうさま!


翌日はモーリタニアを出国し、セネガルへの国境越えです。朝早いのでさっさとおやすみなさい!