ガンビアの世界遺産クンタキンテ島に行ってきました。
旅行日:2024/11/23(土)-11/24(日) ※本文中の値段とビザ情報は訪問当時のものです。
【ガンビア】
ガンビアは、西アフリカの大西洋沿いに位置する国。首都はバンジュールです。
国土の周囲をぐるりとセネガルに囲まれており、ガンビア川の流域に沿って細長く伸びる、アフリカ大陸本土で最も面積が小さいユニークな形状の国として知られています。
19世紀からイギリスの植民地となり、1965年に独立しました。周囲のセネガルがフランス領だったのに対し、ガンビアがイギリス領となったのは、この地域を流れるガンビア川の交易権をイギリスが握ったという歴史的背景があります。
公用語は英語ですが、マディンゴ語やウォロフ語など、多くの民族言語も日常的に広く使われています。通貨はダラシ(GMD)です。
経済は農業に大きく依存しており、特に落花生(ピーナッツ)の栽培と輸出が主要産業です。また、大西洋に面していることから漁業も盛んです。近年では観光業が重要な外貨獲得源となっており、経済の柱として成長を続けていますが、依然として低所得国の一つであり、経済の多角化が課題となっています。
政治に関して、独立後は比較的安定していましたが、1994年のクーデター以降、ジャメ大統領による20年以上の独裁政権が続きました。しかし、2016年の大統領選挙で野党連合のバロウ氏が勝利し、2017年に現政権が発足。民主化への大きな転換期を迎え、国際社会への復帰と政治の安定化が進められています。
観光面では、ヨーロッパから比較的近い「冬でも暖かいビーチリゾート」として人気を集めています。また、ガンビア川流域は「野鳥の楽園」としても有名で、世界中のバードウォッチャーが訪れます。穏やかな国民性から「微笑みの海岸(The Smiling Coast of Africa)」とも呼ばれます。西アフリカの中では比較的治安が安定しており、初めてアフリカを訪れる旅行者にも人気があります。
世界遺産としては、かつて奴隷貿易の拠点となった歴史を伝える「クンタ・キンテ島(旧ジェームズ島)と関連遺跡群」や、セネガルにまたがる神秘的な巨石墓群「セネガンビアの環状列石」の2つがユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、歴史的な見どころも豊富です。
ビザ
ガンビアは観光ビザが必要なので、日本で取りました。(2024年10月現在)
ガンビア:日本のセネガル大使館に窓口提出の場合を電話で確認。
・パスポート
・申請書3部
・写真3葉(申請書の枠のサイズ)
・航空券(入国・出国の航空券。あちこちの国に行く場合は全体の英文旅程表と日本発着航空券も必要)
・ホテル予約確認書(宿泊者名、滞在日付をカバーするもの、ホテルの名前・住所・電話番号やメアドが記載されていること)
提出は9:30-12:30、14:30-16:30ぐらいを目安に、事前に要電話。
書類提出後、チェックの結果受付けてもらえたら料金\3,876を現金で払い、受領兼引換証(Recepisse de demande de visa)をもらいます。
提出した日を含めて5営業日めに発給。受領兼引換証を渡してパスポート受取。
記載ミスがあった場合、すべての記載を無効にして再度誤りのないビザを作成し直すよう依頼した方が無難です。
Day1 空港からホテルへ
バンジュール国際空港到着
17:05 FNA→18:20 BJL ASKY航空 KP22
18:25着陸と、ほぼ定刻でした。
空港ではまずイエローカードを提示しますが、実質見ていなさそうな雰囲気。
続いてセキュリティ料金としてUSD20 (VISA払い可能。他の通貨も可)を支払い、入国審査へ。

ホテル、職業、目的、親がガンビアにいるのかを聞かれ、指紋と写真をとりました。
ブースの係員はビザがわからなかったようなので、上司のような係員にパスポートを渡す始末。
ビザページを確認して、何日滞在か、どこへ行くのかを聞いた後、スタンプをおしてくれました。

実はセネガル大使館で取得したときガンビアビザに大使館員の記入ミスがあり、訂正印が押されていました。
セネガル出国時に関係ないのにイミグレ女職員がガタガタ言ってきましたが(公式訂正ではなく勝手に修正したと考えている)、ガンビアのイミグレでは訂正した箇所は何も言われませんでした。
セネガル大使館員の日本的訂正印システムなどアフリカ人イミグレには理解できませんのでご注意を。
18:45すぎにイミグレ通過。賄賂はありませんでした。
15分ほど経ってもホテルに依頼していた送迎が見当たらないのでホテルに電話。
なんと出発してないようで、25分で到着すると言われました。
その間にATMでガンビアの通貨ダラシを入手。
30分ほどで迎えがやってきて空港を出発。
19:50、今回宿泊するホテルCoco Ocean Beach Resortに到着しました。バンジュールのArch22から20km離れたリゾートエリアにあります。
一台EUR40でしたが、いい車でドライバーもホテルの人で、夜だし安心でした。


リゾート感ある開放的なレイアウトの敷地内には猿や虫がいて賑やか。
フロントは親切です。チェックイン時にウェルカムドリンクをいただきました。
ブドウ味だと思いますがやや人工的な味かも。
手続が済んだらお部屋へGo。
宿泊した部屋にはありませんでしたが、客室のグレードによっては蚊帳付きの部屋もあるようです。エアコンとシーリングファンはどちらも問題なく作動し、掛け布団も用意されていました。
シャワーの水圧は切り替えが可能で、そこそこの強さがあります。ただ、お湯が出たのは夕方だけで、日中は水しか出ない時間帯があったので注意が必要です。
・アメニティ: 使い捨てのシャンプー、シャワージェル、石鹸
・客室設備: ドライヤー(風量そこそこ)、取り外し可能なハンガー8本、金庫、冷蔵庫、湯沸かしポット、テレビ
・お水: 500mlのペットボトルが毎日1本無料で補充されます。
客室にミニバーはありません。飲み物はフロント横に買いに行くスタイルで、1.5リットルのミネラルウォーターが110GMDでした。
ホテル内にはレストランもありますが、正直なところ衛生面には不安があります。ガンビアという土地柄、環境の整ったお店を見つけるのは簡単ではありませんが、お腹を壊さないためにも、できるだけ周辺で衛生的で安心できそうなレストランを探して利用するのが賢明だと思います。




そうとは知らず、横着して夕食はホテルでとりました。
パッタイ(GMD800)は、ケチャップのような味で不思議でしたが、これはこれでアリな気もしました。
マンゴージュース(GMD15)もまあまあです。
手数料込みでGMD983.25をお支払い。


しかしこの後大変なことに。。
Day2 クンタキンテ島ツアー
朝から少しお腹の調子に違和感がありましたが、この日は事前に予約していたクンタキンテ島ツアーの当日でした。
7:25〜8:35|出発からフェリーでの移動
7:25、時間通りにピックアップの車が到着しました。
ガイドの名前はなんと「ラーメン」さん。
朝の空気は過ごしやすく、窓を開けて走っていると肌寒さを感じるほどです。
先日訪れたリベリアやシエラレオネとは明らかに気候が違います。


7:55にフェリー乗り場付近で車を降り、8:00にフェリーへと乗り込みました。船内はかなりの混雑です。
階段を上っている最中、後ろのポケットを開けられそうになっているスリ未遂の被害者を見かけました。
8:05に出港。乗客には西洋人の観光客が多く、「GAMBIA TOURS」御一行様は複数グループいました。車内には熱心な物売りも乗り込んできます。


2階はオープントップで、荷物に注意しながら移動の風景を楽しみました。



8:35、対岸のバッラ(Barra)に到着しました。
細い路地を抜けて大通りに出ると、辺りはかなりカオスな雰囲気で、一人で行動するのはやや難易度が高めに思いました。ガイドが両替に行っている間に次々と現地の人から話しかけられました。
再び車に乗って出発したあたりから、徐々に気持ち悪さが増してきました。


10:00〜11:39|博物館と世界遺産クンタキンテ島

10時から、まずは博物館を20分間ほど見学しました。入場料はツアー代金に含まれていました。


しかし、ここでお腹の状態が悪化し、何度もトイレに駆け込むことになり、展示の内容が全く頭に入りません。写真に撮って後で見返すため、館内の撮影料として100GMDを支払いました。


館内展示は、奴隷制に関するものだったようです。












その後、車でボート乗り場へ移動します。ボート乗り場近くにある「解放の像」や「コットンツリー」も見学しました。像のある広場に面してツーリストインフォの看板のある建物があり、ここにトイレがありました。




いよいよボートでクンタキンテ島へ向かいますが、島内にはトイレがありません。ボートの往復時間も含め、しばらくトイレに行けない過酷な状況ですが、ここまで来たら行くしかありません。



桟橋があり、ドライランディングでした。



クンタキンテ島は、かつて2週間の間に300万人もの奴隷が、まるで家畜のようにこの小さな島に留め置かれていたという歴史を持つ場所です。
【世界遺産】クンタキンテ島と関連遺跡群(Kunta Kinteh Island and Related Sites)
●登録年: 2003年(文化遺産)
●概要: ガンビア川の河口から約30km上流に浮かぶ小島(旧名:ジェームズ島)と、周辺の奴隷貿易拠点を巡る遺跡群。
●歴史的背景: 15世紀にポルトガル人が到達して以降、イギリスやフランスなどの間で激しい争奪戦が繰り起こされた。西アフリカにおける奴隷貿易の重要拠点のひとつであり、多くの人々がここからアメリカ大陸へと強制連行された。
●名前の由来: 小説・ドラマ『ROOTS/ルーツ』に登場する黒人奴隷の始祖「クンタ・キンテ」の故郷(ジュフレ村)が近くにあることから、2011年に現在の島名に改称された。奴隷制の負の歴史を伝える「負の世界遺産」として知られている。

島内にはバオバブの木が佇み、要塞のような管理者の建物が残っていました。物資の保管庫、水質が悪く多くの死者を出したという水槽、そして50人もの奴隷が押し込められていた部屋などを見て回ります。建物の中に入ると、右側が管理者の部屋、中央の広間が会議室になっていました。大砲とタワーもありましたが、タワーは復元されたもので、当時は木製だったそうです。







11:39〜13:00|帰路 どんどんひどくなる体調
島での見学を終え、ボートで島を出発し11:50に埠頭へ戻りました。着陸後、すぐにトイレへと駆け込みます。
ここでお世話になったボートこぎとガイドへチップを渡しました。


車で移動を開始しましたが、道中でどうしても我慢ができなくなり、途中の民家でトイレをお借りすることになりました。
トイレットペーパーは備え付けられていなかったため、持参したウェットティッシュが大活躍しました。使用後は民家の外の茂みに捨てるよう指示されましたが、ウェットティッシュは不織布(石油製品)ということもあり、万が一の時のために、においがしない犬のフン処理バッグのような「使用済みシートを密閉して持ち帰れる袋」を持参すればよかったと痛感しました。


13:00〜15:42|帰還、そして療養
13:00、バッラのフェリー乗り場に到着。
ここのトイレは2階のレストラン内にあり、利用するには何か飲み物を購入する必要があったため、75 GMDで水を購入しました。
船に乗る直前、ついに耐えきれずリバース。前日食べたパッタイの野菜がそのままの形で出てきましたが、少しだけ体が楽になりました。こんな体調でも写真を撮っているのは自分でもある意味感心します。

14:25に船へ乗り込み、14:35に出港。
この時間にはみなさん戻らないのか周遊されているのか御一行様とおぼしき客はほぼおらず、だいぶガラガラでした。




対岸へ戻り、再び車に乗って15:42にようやくホテルへ帰着し一安心。


ホテルに戻っても胃の痛みや水下痢は治まらず、この日は結局1日で10回以上はトイレに駆け込みました。途中からは出すものがなくなり、ただ水だけが出ているような状態です。
持参していたポカリスエットの粉末で水分を補給しながら、ひたすら療養に努める苦しい一日となりました。

