ガーナ旅行(2) 首都アクラ

アフリカ
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ガーナの首都アクラを散策します。

旅行日:2025/3/16(日) ※本文中の値段とビザ情報は訪問当時のものです。

【ガーナ】
ガーナは、西アフリカのギニア湾に面する国です。首都はアクラ。
西はコートジボワール、北はブルキナファソ、東はトーゴと国境を接しています。かつて「黄金海岸(ゴールド・コースト)」と呼ばれたほど金の産出が豊富で、古くからヨーロッパ諸国との交易が盛んな地域でした。

15世紀以降、ポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国が進出し、金や奴隷貿易の拠点として多くの城塞が築かれました。その後イギリスの植民地となりましたが、1957年にサハラ砂漠以南のアフリカで初めて植民地支配から独立した国となりました。初代大統領クワメ・エンクルマは、アフリカ独立運動を象徴する指導者として知られています。

公用語は英語です。また、アカン語(トウィ語)、エウェ語、ダガリ語、ガ語など、多くの民族言語が日常的に話されています。通貨はガーナ・セディ(GHS)です。

経済は金、カカオ、原油の輸出が主要な柱となっています。ガーナは世界有数のカカオ生産国であり、チョコレートの原料となるカカオ豆の輸出で知られています。また、近年は石油・天然ガスの開発も進み、西アフリカ有数の経済規模を持つ国の一つとなっています。一方で、物価上昇や通貨安、債務問題など経済面での課題も抱えています。

政治面では、独立後はクーデターや軍政を経験しましたが、1990年代以降は民主化が進み、西アフリカの中でも比較的政治が安定した国として評価されています。平和的な政権交代が繰り返されており、地域の民主主義を代表する国の一つとされています。

観光面では、首都アクラの独立広場や国立博物館をはじめ、ケープ・コースト城やエルミナ城など奴隷貿易の歴史を伝える要塞群が有名です。また、熱帯雨林の中を歩くカクム国立公園のキャノピーウォークや、美しい海岸線も人気の観光地となっています。
世界遺産としては、「ヴォルタ川沿いの伝統建築アサンテの伝統的建造物群」と、「ガーナの要塞群(エルミナ城、ケープ・コースト城など)」がユネスコの世界遺産に登録されています。特に海岸沿いに残る要塞群は、奴隷貿易の歴史を今に伝える貴重な文化遺産として世界中から多くの人々が訪れています。

ガーナ入国には、基本的に居住地の大使館での申請でビザ取得が必要です。Single \9,440、Multiple \11,000ですが、追加料金でExpedited Service可。

1. オンラインで書類作成
公式サイト https://tokyo.mfa.gov.gh/ のリンクから申請サイトにとぶ。
メールアドレス登録後、Visa Applicationsを選択し、画面に従って入力。
申請は開始後 14 日以内に要完了(14日過ぎるとデータが削除されるとのこと)。
【必要なもの】(申請サイトより)
・ホテル名、住所、電話番号、メールアドレス、英語の予約確認書(PDF or JPG)
・eチケット(PDF or JPG)
・署名の画像(JPG W250px H50px)
・パスポート写真ページ(PDF or JPG)
・イエローカード(PDF or JPG)
・証明写真(JPG、パスポートサイズ、6ヶ月以内、背景白、カラー、目に髪がかからない)
各ファイルは簡潔な名前にして、1MB以下にする。

2. 大使館でビザ申請(郵送可)
オンライン作成したVisa Application Formsを印刷して署名をし、ビザ代金支払いレシートやスクショと共に大使館に提出。
直接大使館申請の場合、申請は火・木のみ。詳細は大使館へお電話を。

※Airside transitの場合はビザ不要です。

途中まで自力でやっていたのですが、サイトがダウンしてしまい、もたもたしている間に急遽大使館に申請に行く時間がとれなくなり、結局代行業者にお願いしてしまいました。
2024/12/1~2025/1/15までNon-Pre-Approval Visa on Arrivalキャンペーンがありました。こうした機会に合わせて旅行を計画するのもいいかもしれません。

首都アクラ観光

朝食はホテルで。
種類が多くておいしかったです。
スタッフに聞いたらシチューは辛くないと言っていたのに、辛かったので注意!

アクラは見どころがそんなに多くはないものの、点在しているうえ暑いので基本的にUberで移動しました。
Uber呼んで10分ほどでやってきました。

途中、Wesley Methodist Cathedral前を通過。1960年献堂と歴史あるメソジスト(プロテスタントの一派)教会で、イギリス統治時代の面影を残す外観が魅力です。

しかし、すぐ近くがジェームズタウン地区で、治安状況がイマイチなのが難点。このときも柵があり入れなさそうでしたし、車窓チラ見で十分でした。

10:31 Accra City Hotel → 10:42 National Public Health and Reference Lab Korle-Bu GHS29

野口英世記念館

野口英世は1928年にアクラで黄熱病の研究中に感染し、51歳で亡くなりました。その功績をたたえ、研究所と記念展示室が設けられています。展示では野口英世の生涯や研究、ゆかりの品のほか、日本とガーナの医学・学術交流についても紹介されています。

日曜だからやっていないかと思ってダメもとで来たのですが、Uberが到着するなり扉があき、ラボの方が出てきてくれました。案内にしたがって見学します。入場料GHS10でした。

研究室・展示室

奥の建物にあってわかりにくいですが、ラボの方の案内で向かうことになるので心配いりません。
入ると実際に実験をしたという研究室。きれいにされていました。
壁には野口英世関連のイラストなどが描かれたパネルが展示してありました。

研究室の奥に、本当に小さな展示室があります。

野口の母シカからの手紙です。このために文字を習って書いたそうで、強い思いを感じずにはいられません。

福島出身ということで、赤べこが置かれていました。誰か日本人が置いて行ったのでしょう。
展示ケースなどはかなり傷んでおり、中の展示品も状態がよさそうには見えませんでした。
保管の難しさもあり、いつまで展示してもらえるのかと余計な心配をしてしまいます。

庭園

見学後は庭園へ。
こちらも看板が色褪せ気味。

全景を映してみますが、光の加減で汚くなってすみません。
御存命だったら写真部だった憲仁親王に撮っていただいた方がよいかもしれません。

庭園の右側に像があり、左には石灯籠がありましたが、庭園の手入れもあまりされていないように見えます。

最後に1000円札で記念撮影。
E号券野口英世とF号券北里柴三郎を持ってきていました。

ちなみに野口英世は北里柴三郎の研究所で学び、細菌学者としての道を歩み始めており、実は師匠と弟子の関係でした。

再びUberを呼んで、アクラ中心部に戻ります。今回も10分ほどで来ました。
途中、アクラの歴史地区ジェームズタウンの灯台を通過。
現在の塔は1930年代に造られ、現在も航海標識として使われています。
周辺は整備された観光エリアではなく、現在も漁業を営む人々が暮らす生活エリアであり、事前にきちんとしたガイドをつけて訪問すべき場所です。

Uber 11:15 National Public Health and Reference Lab Korle-Bu → 11:23 Kwame Nkrumah Memorial Park & Mausoleum GHS28

クワメ・エンクルマ(Kwame Nkrumah)記念公園

ガーナ独立の父、クワメ・エンクルマを記念して造られた公園。エンクルマは1957年、ガーナをイギリスの植民地支配から独立へ導いた初代首相(後に初代大統領)で、アフリカの独立運動を象徴する人物として知られています。

入場料GHS100を払い、早速特徴的な霊廟を見学します。
霊廟に向かって池があり、周囲には像が置かれていました。

一番北側には2010年に徳仁天皇陛下(当時は皇太子殿下)が植樹した木がありました。

外観について、設計者は「幹の途中で切り倒された木」をイメージしたとも説明しています。1966年のクーデターによってエンクルマの政治的構想が途中で断たれたことを象徴したものとのこと。

こちらがエンクルマの墓石です。
エンクルマは1972年に亡くなった際、亡命先だったギニアで最初に埋葬されました。
その後、故郷のンクロフルへ改葬。

さらに1992年、現在のアクラの廟へ移されました。遺体は地下の墓室に納められています。

廟の奥には、エンクルマの生涯を紹介する展示室がありました。
クーラーのきいた建物では、ガーナ独立の超ショート動画の無限リピートが流れ、独立関係の言葉が並んでいました。ただし撮影禁止でした。

また、ピアノには「Dr Kwame used to play at Peduase Lodge during his presidency」と記されていました。
エンクルマが大統領在任中に別荘・迎賓施設であるペドゥアセ・ロッジで実際に弾いていたものです。 
ただし、ペダルは壊れており、傷みは激しいです。

エンクルマの生家の写真があり、茅葺き屋根のひなびた家という印象でした。

その下の階にも一部屋だけの展示室があり、エンクルマの一生が簡単にまとめられています。
大学、銀行、タバコや製糖など多数の会社、鉄道、ダムなどを手がけていました。
ここにはメタルの棺があり、改葬前は地元で葬られたことなどが書かれていました。
また、ここにも先ほどと同じエピソードのピアノがありました。
アジアでは中国とのつながりがあったようで、毛沢東との写真や扇子の贈り物などが飾ってありました。

帰り際、セキュリティのBBAにトイレの場所をきいたら、ついていくから金をよこせと言うので適当にあしらってやり過ごしました。

ガードマンにその話をしたら「あげたければあげればいいだけのことだよ」とのこと。これだから…(以下自粛)

さて、またUberで今度は東にあるOsu castleに向かいます。
途中、Independence Square(Black Star Square)を通過。
Independence Arch(独立門)の上には「黒い星」がありますが、エンクルマが掲げたパン・アフリカニズム(アフリカの連帯)の象徴でもあります。
ガーナ国旗にも黒い星が描かれており、「アフリカの自由の象徴」とされています。
このときは門の足の部分に国旗が飾り付けられていました。

旧10,000セディ札にも描かれています。

Uber 12:52 Kwame Nkrumah Memorial Park & Mausoleum → 12:56 Osu castle GHS29

オス城(クリスチャンスボー砦)

アクラの海岸沿いに建つ歴史的な砦で、ガーナの植民地時代を象徴する場所のひとつです。17世紀にデンマークによって築かれ、その後ヨーロッパ諸国の支配を受けました。かつては奴隷貿易の拠点として使われ、地下牢には船で運ばれる前の人々が収容されていた歴史があります。
一方で、ガーナ独立後は大統領府として使用され、初代大統領エンクルマの時代にも政治の中心となりました。奴隷貿易、植民地支配、そして独立国家建設というガーナの歴史を一つの場所で感じられる史跡です。
「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナのベナン湾沿いの城塞群)」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。これには前日に訪問したエルミナ城やケープコースト城も含まれます。

入口は政府庁舎で撮影は憚られます。
セキュリティに連れられ、直進して奥にある受付へ。ここまでは撮影禁止です。
入場料はGHS80でした。

ここはガイドツアーでないと内部見学できません。
当初ガイドがくるまで10分待つと言っていたのですが、その後すぐオーストラリア人女性が来たら一緒に行きましょうとか言われ、ツアーに途中参加する形になりました。

小さな門から入ると豪華な階段が目に入ります。
正面階段は仕切りがあり、中央は要人用。エリザベス女王やオバマ一家が通ったそうです。
我々平民は端を歩いて二階に向かいます。

2階に上がり、左に行くとエリザベス女王が11日の旅で使ったベッドの部屋がありました。

右に行くとカトリック教会。左はエンクルマ、17世紀のポルトガルの椅子があります。
下階は女性のダンジョンとなっています(後で訪問)。

そのまま外に出るとオリジナルの城のオレンジの屋根が見えるところがあるのですが、撮影禁止でした。

隣棟の建物に入るとガーナの前大統領の執務室がありました。
階下は男性のダンジョンと言っていたと思います(これも後で訪問)。

渡り廊下を渡っていきます。
言われるがままに歩いていると迷路のように感じてしまいます。

建物の北、東端にでたようです。
螺旋階段があり、ここを下っていくと扉があって外に出られました。

写真右の階段のところにある扉から出てきました。

実はこのあたりに、奴隷船へ乗せられるために通った最後の出口であり、一度通ると二度と故郷へ戻ることができないことから「帰らずの扉(Door of No Return)」と呼ばれた扉があったようです。もとは小さい扉で、かがんで外に出ていったとのこと。乗せられたのは夜だったので、奴隷には周りがよく見えなかったとか。

ここでガイドツアーは終わり。
途中参加だったため、すでに終わっていた冒頭部分に戻って見せてくれました。
階段前の広場では物々交換のマーケットができ、現地人やヨーロッパ人でにぎわうこともあったそうです。

まずは男性のダンジョン(奴隷牢)。逃げられないように2mの壁があり、食事は天井から与えられたと言います。70~100人が押し込められていました。

床は当時は砂だったようです。

井戸がありました。

続いて女性のダンジョン。

こちらも食事は当初天井からだったのですが、扉から与えられる形に変わったそうです。

女性奴隷の中には、性上納に使われた人もいたとのこと。

終了後、庭園も少し散策させてもらいました。
特に何もないのですが、木陰は涼しかったです。

見学がおわり、今度はUberで国立博物館へ向かいます。今回も10分ほどで来てくれました。

途中、車窓からHoly Spirit Cathedralが見えました。

Uber 14:21 Osu castle→14:29 National Museum of Ghana GHS28

国立博物館(National Museum of Ghana)

入場料GHS80でした。
館内はクーラーがなくて暑いです。

石器やテラコッタの展示。北東部Yikpabongo出土のKoma Terracottaシリーズでした。

ガーナ北東部のロックアート、モスクの形式の説明パネルや、木の皮によるバーククロースなど。

国会議事堂より寄贈された国賓用の椅子と足台は、エンクルマが就任宣誓を行った際に使用されたものだとか。
右の写真はケンテ布を着たエンクルマのポートレートです。

緑のパネルの部屋は特別展で、2027年に独立後70周年を迎えるにあたり、プレイベントとして「Ghana 1957」と題して写真展を開催していました。
Kuduoは、アカン族の王、女王などが所有する真鍮製の容器で、所有者のクラ(魂)を宿す器として儀式に使われていました。

馬に乗った北部の首長の人形や、アシャンティの伝統家屋、アカン族のテラコッタなどの展示がありました。

2階にも少しだけ展示がありました。こちらはサッカーや国章など。

エンクルマなどの胸像が並んでいました。

切手やお金の展示もありました。

外には彫刻が並んでいました。
駐車場には銃撃されたような車が置いてありました。エンクルマの暗殺未遂事件のものでしょうか。

見学後、Uberでホテルに戻ります。
博物館で少し話をしたイギリス人女性がタクシーひろえずに困っているというので、一緒にUberでホテルに戻ることにしました。Uberをインストールしていないのは不思議でしたが、トラブルもなく半額で戻れたのでよしとします。

Uber 15:41 National Museum of Ghana → 15:47 Accra City Hotel GHS28
(現金で30セディ(割り勘で15セディ)払いお釣りなし)

レストランYoofin

少しホテルで休憩した後、夕食はアクラにある日本食レストランYoofinに行ってみることにしました。

国立劇場の交差点は物乞いや窓拭きなどが、か細い声で金をせびってきます。
また、途中車窓から見えたGhana National Mosque Complexはトルコの協力により建設されたガーナ最大級のイスラム複合施設で、約15,000人収容のモスクのほか、マドラサ(イスラム学校)、図書館、クリニック、会議場などが含まれます。見た目は完全にイスタンブールのブルーモスクです。

Uber 17:25 Accra City Hotel → 17:43 Yoofin GHS37 (現金で40セディ払いお釣りなし)

Yoofin到着後、2階のテラス席にあがると、すでに日本人グループ8人がいました。
18:30ごろ別の日本人3人組や、白人1人、アジア系2人と続々来て、人気のある店だということがわかります。
これは期待大。

からあげ丼(115セディ)を注文。
からあげは日本の味。しょうがやガーリックがきいているのかとても美味しかったです。
油淋鶏みたいな感じもします。
米は日本のより細長いのですが、柔らかくて違和感はほとんどありませんでした。

飲み物は緑茶(35セディ)
冷たいのもあるようですが、念のため温かいものにしておきました。

大満足の夕飯になりました。
参考までにメニューを掲載しておきます(価格は訪問した2025年のものです)。

Uber 19:05 Yoofin → 19:22 Accra City Hotel GHS40

翌日は国境越えをしてトーゴのロメに向かいます。

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